日本歴史地名大系 「東月寺跡」の解説 東月寺跡とうげつじあと 長崎県:上県郡峰町志多賀村東月寺跡[現在地名]峰町志多賀現玉泉(ぎよくせん)寺の地にあった禅宗寺院の跡。創建年代は未詳ながら、長禄二年(一四五八)九月二二日の宗成職書下(三根郷給人等判物写)に「東月寺」とみえ、「ろくち高麗の津の舟の公事」や諸々の公事が免除され、当寺が九州や朝鮮半島との間で渡航する船にかかわる権利をもち、その公事が免除されていたことが推定される。旧蔵の過去帳に記される「東月寺殿鎮西守護見性是仏大禅定門」の法名は、応仁元年(一四六七)大内氏と戦って敗死した少弐教頼のもの。同三年四月一〇日、大宰少弐頼忠から「東月寺住持清蔵主」に宛てて筑前国那珂(なか)郡志賀(しか)島(現福岡市東区)の宮司について承知した旨の書下(三根郷代々判物写、以下同判物写)が出されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by