日本歴史地名大系 「志多賀村」の解説 志多賀村したかむら 長崎県:上県郡峰町志多賀村[現在地名]峰町志多賀佐賀(さか)村の北東にあり、小鹿(おしか)村(現上対馬町)境の神(こう)山に発する志多賀川が入江に注ぐ。この入江の南に鹿(しか)ノ浦があり、佐賀村との間に地蔵(じぞう)峠がある。北東に志越(しこえ)の集落と椎(しい)の浦、松(まつ)島・裸(はだか)島などがある。近郷に鹿ノ浦・鹿ノ崎・鹿間(しかま)などが分布することから志多賀の賀も鹿で、小鹿の下方であろうという説がある(津島紀事)。南東部の遠見(とおみ)に江戸時代遠見番所が置かれた(元禄一三年対馬国郡絵図)。椎(しい)の浦(うら)遺跡のほか、地内の河岸段丘に古墳か祭祀遺跡があったらしく、須恵器の破片や大型勾玉が採集されており、浦崎の出鼻でも土師器が出ている。応永九年(一四〇二)に宗頼茂が志多賀館を築いたというが(「宗氏家譜」など)、その所在地は未詳。文禄元年(一五九二)五月二一日、島津氏の軍勢は府中(ふちゆう)湊(現厳原町)で順風を待って「したかと申津」に向かい、そこで宿泊し、釜山浦までの案内者六〇人余を頼んで同月二二日に出船している(「新納忠増日記」旧記雑録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by