日本歴史地名大系 「東椎屋村」の解説 東椎屋村ひがししやむら 大分県:宇佐郡安心院町東椎屋村[現在地名]安心院町東椎屋若林(わかばやし)村の南、津房(つぶさ)川上流域にあり、滝(たき)川が当村で津房川に合流する。南は萱籠(かやごもり)村。椎屋は志屋・椎谷などとも記した(「四日市村年代記」など)。近世の領主の変遷は妻垣(つまがけ)村に同じ。小倉藩元和人畜改帳では津布佐手永に属し、椎屋村とみえ、高一〇八石余、人数四六、百姓六(うち庄屋一)・名子七・牢人五、牛五・馬三。同改帳では田所手永に属する別の椎屋村(現院内町)がみえる。のち両村を区別するため当村は東椎屋村、もう一村は西椎屋村と称するようになったと思われる。元禄豊前国高帳には東椎谷村とみえ、高一五九石余。天保三年(一八三二)の中津藩郷村高帳下書には新田畑高六六石余がみえ、同四年の中津藩郷村高帳下書では高一七五石余、うち改出高一五石余・永荒一六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by