東江部村・西江部村(読み)ひがしえべむら・にしえべむら

日本歴史地名大系 「東江部村・西江部村」の解説

東江部村・西江部村
ひがしえべむら・にしえべむら

[現在地名]中野市大字江部

地名の示すように江部村はもと延徳平(えんとくだいら)の湖沼当時、江頭水辺に発生した集落で、東西に村切の行われたのは、慶長七年(一六〇二)森忠政の検地以前であり、明治七年(一八七四)再び合併したこともある。両村とも東は岩舟(いわふね)・西条(にしじよう)、西は草間(くさま)・安源寺(あんげんじ)、南は新保(しんぼ)・小沼(おぬま)、北は片塩(かたしお)・吉田(よしだ)の諸村に接する。

応永七年(一四〇〇)九月、信濃守護小笠原長秀に抗して戦った高梨朝高の幕下にみえる江部山城守は高梨氏の一族である(大塔物語)。江部高秀が文安五年(一四四八)高梨本郷の代官として諏訪上社の祭事に頭役を勤めてから寛正―文明年間(一四六〇―八七)にも、江部氏は代官として新保の頭役を勤めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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