改訂新版 世界大百科事典 「森忠政」の意味・わかりやすい解説
森忠政 (もりただまさ)
生没年:1570-1634(元亀1-寛永11)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(長谷川弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…【由比浜 省吾】
[津山城下]
津山藩主森・松平両氏の城下町。1603年(慶長8)信濃国川中島13万7500石から美作一国18万6500石に移封された森忠政は,かつて守護館が設けられた美作の府院庄に仮城を構えたが,翌年要害の地鶴山を選んで城地と定め,16年(元和2)まで13年の歳月を費やして壮大な平山城を築いた。巨大な石垣を3段に築き上げた津山城(鶴山城)は,南に吉井川を望み,北と東は断崖で囲まれた天然の要害であった。…
…初期は外様,中期以降は家門中藩。1603年(慶長8)森忠政が朱印高18万6500石の美作一国を与えられ,信州川中島から移封されて立藩した。彼は新規に津山城を築き,領内各地から商人,職人を集めて城下町を経営するとともに慶長検地を行い,また国衆の土着した土豪地主の懐柔に努め,頭百姓の格を与え,大庄屋,肝煎,庄屋などに取り立て,地方支配の体制強化に尽力した。…
…そのため宇喜多,小早川の遺臣が美作の各地に土着帰農した。同年その遺領のうち備前は池田忠継に,美作は森忠政に与えられ,翌年忠政は18万6500石の領主として入封した。 忠政は新規に津山城を築き,領内の商人,職人たちを集めて城下町を経営した。…
※「森忠政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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