日本歴史地名大系 「東片町」の解説 東片町ひがしかたちよう 京都市:中京区初音学区東片町中京区高倉通姉小路下ル南北に通る高倉(たかくら)通(旧高倉小路)を挟む両側町。平安京の条坊では、町の西側が左京三条四坊二保四町、東側が同五町にあたる。平安時代末期には町の西側は以仁王の高倉宮御所(帝王編年記)の地、室町時代には曇華院の地になった。仁治三年(一二四二)九月二五日付の家田宝清処分状(菊大路家文書)にみえる石清水八幡宮寺別当宝清から弟子の権別当宮清に譲られた「三条高倉敷地」は、この付近であったと考えられる。また当町西側には遺光院なる寺院があり、曇華院創建の時、他所へ移った(坊目誌)。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「曇華院東片町」とあり、筆描図系の絵図では以後変化はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報