曇華院(読み)どんげいん

精選版 日本国語大辞典 「曇華院」の意味・読み・例文・類語

どんげ‐いん‥ヰン【曇華院】

  1. 京都市右京区嵯峨北堀町にある臨済系単立尼院。暦応年間(一三三八‐四二足利義詮夫人良子の母智泉尼の開創。もと天龍寺の塔頭(たっちゅう)一つで通玄寺と称したが、応仁の乱後曇華院に合体。大成尼が中興。京都尼寺五山の一つ。竹御所

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日本歴史地名大系 「曇華院」の解説

曇華院
どんげいん

[現在地名]右京区嵯峨北堀町

西高瀬にしたかせ川樋口の北にある臨済系単立の尼寺。本尊十一面観音。当寺はもと暦応年間(一三三八―四二)足利義詮の夫人良子の母智泉尼が、三条東洞院ひがしのとういん(現中京区)高倉たかくら宮跡に創建した瑞雲山通玄つうげん寺で、足利義満の禅刹等位により尼五山の一つとされた。その後智泉尼は曇華庵を建ててそこに退き、のち改めて曇華院とよんだ。応仁元年(一四六七)の乱で焼失するや本寺の通玄寺を併せて曇華院と改称。観音像を安置した。その後、慶長八年(一六〇三)に再び焼失したが徳川氏から六八四石の寺領が与えられ、延宝年中(一六七三―八一)後西天皇の皇女大成禅尼が中興。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「曇華院」の意味・わかりやすい解説

曇華院
どんげいん

京都市右京区嵯峨(さが)北堀町にある単立宗教法人の尼寺。本尊は十一面観音(かんのん)。もと天竜寺2世無極志玄(むごくしげん)(1282―1359)の妹智泉尼(ちせんに)(足利義詮(あしかがよしあきら)夫人の母)が三条東洞院(ひがしのとういん)に開き瑞雲山通玄(つうげん)寺と号し、京都尼寺五山の一に列せられた。のち智泉尼はさらに曇華院を創建し隠棲(いんせい)したが、応仁(おうにん)の乱で通玄寺が焼失したことから、寺をあわせて曇華院と称するようになった。延宝(えんぽう)年間(1673~81)後西(ごさい)天皇の皇女大成尼が入寺して中興、竹御所(たけのごしょ)とよばれ、代々皇女が出家し住持することが多かった。1876年(明治9)嵯峨に移り天竜寺に属したが、1951年(昭和26)独立した。

[平井俊榮]

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