東用田村(読み)ひがしもちだむら

日本歴史地名大系 「東用田村」の解説

東用田村
ひがしもちだむら

[現在地名]大田市長久町長久ながひさちようながひさ

大田北村の西に位置し、南は稲用いなもち村・土江つちえ村。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「もち田の郷 廿五丁五反三百卜」とみえる。建武三年(一三三六)一一月二六日、足利尊氏は京都本圀ほんこく(現京都市山科区)造営のため用田郷など二二ヵ所を寄進している(「足利尊氏寄進状」本圀寺文書)

寛永二〇年(一六四三)加藤明友が安濃あの郡大田で一万石を与えられ吉永藩が成立したが、一万石に若干不足したので用田村を東西に二分し、東用田村を加えた二〇ヵ村を吉永藩領とした(観聴随筆)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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