日本歴史地名大系 「東間村」の解説 東間村あずまむら 石川県:羽咋郡押水町東間村[現在地名]押水町東間宝達(ほうだつ)山西麓の村で、前田(まえだ)川扇状地の扇頂部に位置する。南西は坪山(つぼやま)村。「能登志徴」によると古く北西の東野(ひがしの)村などとともに吾妻野(あづまの)とよばれた荒野であったという。前田創業記(加越能文庫)の末森合戦の項に「天正十二年九月六日、成政潜兵出富山城(略)同十一日進到吾妻野」と記され、佐々成政は吾妻野天神林(現手速比神社社地)に陣を置いたという(三州志)。 東間村あずまむら 埼玉県:北本市東間村[現在地名]北本市東間一―八丁目・北本三丁目・北本宿(きたもとじゆく)四―六丁目上宮内(かみみやうち)村・下宮内村の西にあり、西は原馬室(はらまむろ)村(現鴻巣市)、中央を中山道が南東から北西へ通る。南東本宿村方面に飛地の字蔵前(くらまえ)があった。足立郡鴻巣領に属する(風土記稿)。田園簿には東マ新田とあり、高七九石余で皆畑。幕府領。元禄郷帳には東間村とある。国立史料館本元禄郷帳では幕府領で鵜飼・宮村・蔭山各氏の当分預所。明和七年(一七七〇)川越藩領となる(松平藩日記)。幕末の改革組合取調書でも幕府領。寛永六年(一六二九)検地が行われた(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報