松下奥三郎(読み)マツシタ オクサブロウ

20世紀日本人名事典 「松下奥三郎」の解説

松下 奥三郎
マツシタ オクサブロウ

大正・昭和期の実業家



生年
明治16(1883)年

没年
昭和10(1935)年7月19日

出生地
埼玉県飯能町

学歴〔年〕
東京帝大法科〔明治43年〕卒

経歴
金沢第四高等学校を経て、東京帝大法科に入学して、明治43年卒業。初め山口四郎らと政治文芸雑誌「楽天」を発行したが、45年台湾に渡航し、大正2年更に中国・厦門に渡り、3年シンガポールに赴いて三五公司に入り、ついでジョホールに渡り約10年間ゴム栽培に従事する。この間、日本人側を代表して英国人側ゴム栽培委員と折衝して邦人の発展に貢献、業者間に信望を得た。昭和2年ボルネオ護謨の設立に参画して専務となりボルネオに2年間在住するが、マラリア熱に冒されて帰国川越で静養する傍ら、7年東京板橋に東亜化学工芸を創立して社長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松下奥三郎」の解説

松下奥三郎 まつした-おくさぶろう

1883-1935 大正-昭和時代前期の実業家。
明治16年生まれ。45年台湾に渡航,のちシンガポールからジョホールにわたりゴム栽培に従事。昭和2年ボルネオ護謨(ゴム)設立で専務。帰国して,7年東亜化学工芸を設立し社長となる。昭和10年7月19日死去。53歳。埼玉県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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