日本大百科全書(ニッポニカ) 「厦門」の意味・わかりやすい解説
厦門
あもい / シヤメン
中国南東部、福建(ふっけん)省の南部にあり、台湾海峡に面する副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)。略称は鷺(ろ)。思明(しめい)、湖里(こり)、集美(しゅうび)、同安(どうあん)、海滄(かいそう)、翔安(しょうあん)の6市轄区を管轄する(2017年時点)。市域は九竜江河口沿岸部と厦門島、鼓浪嶼(ころうしょ)(コロンス)などの島嶼が含まれる。人口211万1500(2015)。
年平均気温は21℃、亜熱帯季節風気候で冬はない。年降水量は1200ミリメートルで4~8月に集中し、とくに6月が多い。また、7~9月は台風が多い。佐世保市、宜野湾(ぎのわん)市、北海道白糠(しらぬか)町と姉妹都市提携を結んでいる。
[青木千枝子・河野通博・編集部 2018年1月19日]
歴史
古くは島名を嘉禾嶼(かかしょ)、鷺江嶼(ろこうしょ)などといい、10世紀ごろから、海賊、密貿易者、倭寇(わこう)の拠点として知られ、南宋(なんそう)の端宗(たんそう)(在位1276~1278)がモンゴル軍を逃れてきたり、明(みん)の末、鄭成功(ていせいこう)が一時占拠したりした。明の初めの1394年、千戸所を置いて海寇を取り締まったころから厦門(シヤメン)がアモイに転訛(てんか)したといわれ、清(しん)代には水師提督が駐在する海防の要地となった。
17世紀なかばから、ポルトガルなど、ヨーロッパ商人が貿易のためしきりに出入りし、1842年アヘン戦争後の南京(ナンキン)条約で五港の一つとして開港された。その後は10世紀以来の泉州(せんしゅう)、漳州(しょうしゅう)の繁栄をしのいで栄え、1903年には共同租界も設けられ、1913年には思明県が置かれ、南方への移住者(華僑(かきょう))の流出港として有名であった。
[星 斌夫 2018年1月19日]
産業・交通
中心となる厦門島は長さ2212メートルの堤防で本土側の集美区と結ばれ、堤防上を鷹厦(ようか)線(鷹潭(ようたん)―厦門)が通じる。2010年福厦線(福州(ふくしゅう)―厦門)が開通し、厦門島北部には厦門高崎(こうき)国際空港がある。華東地区有数の港である厦門港は、厦門島の南西部の鼓浪嶼に対する水道にあって、水深が深く、波が穏やかな良港で、茶、紙、果実、砂糖、缶詰、海産物、各種工業製品などの貿易港である。港の南東方に市街が広がっている。
1981年に経済特区が設置されて以降、第二次産業と第三次産業が本市の経済成長を支えている。第二次産業では電子機器や自動車部品、船舶、紡績、機械、化学工業などが中心で、1990年代以降、市政府は通信インフラや物流などの第三次産業に注力している。肝油、ぶどう酒、ラム酒が特産物である。
地理的に台湾に近く、使用言語もほぼ同じであるため、経済・文化交流が盛ん。1990年代後半からは台湾を中心に、香港(ホンコン)、マカオ、アメリカ、日本などからの投資が活発であったが、2008年のリーマン・ショック以後は減少している。
[青木千枝子・河野通博・編集部 2018年1月19日]
文化・観光
厦門島には、1921年に創立された厦門大学、集美区には1918年に華僑の陳嘉庚(ちんかこう)(1874―1961)が創立した集美中学を中心とする集美学村とよばれる文教地区がある。対岸の鼓浪嶼をはじめ観光保養地が多く、厦門大学の近くにある唐代創建の南普陀寺(みなみふだじ)、鼓浪嶼の日光岩と鄭成功記念館などが有名。
[青木千枝子・河野通博 2018年1月19日]
世界遺産の登録
鼓浪嶼は1903年共同租界の設置に伴い、各国の領事館や外国人の住居が多く築かれた。現在も世界各国の建築物が残され、「万国建築博覧」と称される。2017年ユネスコ(国連教育科学文化機関)により、世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[唐 琳 2018年1月19日]