松山常次郎(読み)マツヤマ ツネジロウ

20世紀日本人名事典 「松山常次郎」の解説

松山 常次郎
マツヤマ ツネジロウ

大正・昭和期の政治家,実業家 衆院議員(日本自由党)。



生年
明治17(1884)年3月

没年
昭和36(1961)年6月15日

出身地
和歌山県

学歴〔年〕
東京帝国大学土木科卒

経歴
米国留学の後、陸軍工兵少尉、日高見農場経営を経て、大正9年衆院議員に当選。以来通算7期。その間、昭和11年広田内閣の外務参与官、15年米内内閣の海軍政務次官を務める。また中興電気会長、アジア技術協会長を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松山常次郎」の解説

松山 常次郎
マツヤマ ツネジロウ


肩書
衆院議員(日本自由党)

生年月日
明治17年3月

出身地
和歌山県

学歴
東京帝国大学土木科卒

経歴
米国留学の後、陸軍工兵少尉、日高見農場経営を経て、大正9年衆院議員に当選。以来通算7期。その間、昭和11年広田内閣の外務参与官、15年米内内閣の海軍政務次官を務める。また中興電気会長、アジア技術協会長を歴任。

没年月日
昭和36年6月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松山常次郎」の解説

松山常次郎 まつやま-つねじろう

1884-1961 大正-昭和時代前期の政治家,実業家。
明治17年3月21日生まれ。東京帝大卒業後,渡米して土木工学をまなぶ。朝鮮で大規模な干拓開墾・水利事業を展開。大正9年衆議院議員(当選7回,政友会)。明治37年受洗,東京の霊南坂(れいなんざか)教会(日本基督(キリスト)教団)会員として小崎弘道(こざき-ひろみち)らをたすけた。昭和36年6月15日死去。77歳。和歌山県出身。

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