(1)1945年(昭和20)11月9日、旧立憲政友会の鳩山(はとやま)一郎らが中心となって結成した保守政党。総裁鳩山一郎、幹事長河野一郎。第二次世界大戦前の自由主義派政党人を中心に、学者、評論家、財界人らが結集した。自由主義を立党の精神とし、綱領に国体護持、自由経済、軍国主義の一掃などを掲げた。1946年4月の総選挙で第一党となり、政権居座りを続ける幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣に反対して自由党首班内閣を要求、翌5月公職追放の鳩山総裁にかわって吉田茂を新総裁にいただき、日本進歩党と連立して第一次吉田茂内閣を成立させた。1947年4月の総選挙で日本社会党に次いで第二党となり、片山哲内閣、芦田均(あしだひとし)内閣の野党に回った。1948年3月15日民主党幣原喜重郎派と合同し、民主自由党となった。
(2)1953年11月29日、第五次吉田内閣末期に自由党分党派(鳩山自由党)の復党に反対して三木武吉(ぶきち)ら残留派8名が結成した小政党。1954年11月14日、保守再編の機運のなかで改進党、自由党反吉田派と保守合同し、日本民主党となった。
[吉田健二]
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第2次大戦後の政党。(1)鳩山一郎らの旧立憲政友会系政治家により1945年(昭和20)11月9日に結成。46年4月の衆議院選挙で140議席を獲得して第1党となる。翌5月総裁鳩山の公職追放をうけて,吉田茂が総裁となり,日本進歩党と連立して第1次吉田内閣を成立させた。48年3月民主党の分派と合同して民主自由党を結成した。(2)三木武吉ら自由党分党派のうち強硬派が,1953年12月9日に結成。翌年11月23日解党し,日本民主党の結成に加わった。
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…占領体制下の多党化状況の中で第1次から第5次までを数えた吉田茂内閣が成立。これらの吉田内閣を支えたのが自由党であり,党名は日本自由党,1948年3月に民主自由党(民自党),50年3月に自由党へと変遷した。 1945年11月9日,鳩山一郎を総裁とし,幹事長を河野一郎とする日本自由党が結党された。…
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