日本自由党(読み)にほんじゆうとう

精選版 日本国語大辞典 「日本自由党」の意味・読み・例文・類語

にほん‐じゆうとう ‥ジイウタウ【日本自由党】

[一] 昭和二〇年(一九四五鳩山一郎を中心に立憲政友会系を継承して結成された保守政党資本主義再建と自由経済復帰を主張して、同二一年四月の選挙で第一党となり、追放された鳩山に代わって吉田茂が第一次吉田内閣組閣。同二二年四月の選挙で第二党。しかし、同二四年一月の選挙で再び絶対多数を占め保守政治の基盤を作った。同二六年には鳩山、三木武吉らが追放解除で復活。党内抗争も激化し、同二九年鳩山派は日本民主党を結成、翌年一一月には日本自由党と日本民主党が保守合同し、自由民主党となる。
[二] 昭和二八年(一九五三)一一月、河野一郎、三木武吉ら自由党の反吉田派が自由党を脱党して結成した小政党。翌年一一月に日本民主党と合同、自由民主党に発展した。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「日本自由党」の意味・読み・例文・類語

にほん‐じゆうとう〔‐ジイウタウ〕【日本自由党】

自由党

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本自由党」の意味・わかりやすい解説

日本自由党
にほんじゆうとう

(1)1945年(昭和20)11月9日、旧立憲政友会の鳩山(はとやま)一郎らが中心となって結成した保守政党。総裁鳩山一郎、幹事長河野一郎。第二次世界大戦前の自由主義派政党人を中心に、学者、評論家、財界人らが結集した。自由主義を立党の精神とし、綱領に国体護持、自由経済、軍国主義の一掃などを掲げた。1946年4月の総選挙で第一党となり、政権居座りを続ける幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣に反対して自由党首班内閣を要求、翌5月公職追放の鳩山総裁にかわって吉田茂を新総裁にいただき、日本進歩党と連立して第一次吉田茂内閣を成立させた。1947年4月の総選挙で日本社会党に次いで第二党となり、片山哲内閣、芦田均(あしだひとし)内閣の野党に回った。1948年3月15日民主党幣原喜重郎派と合同し、民主自由党となった。

(2)1953年11月29日、第五次吉田内閣末期に自由党分党派(鳩山自由党)の復党に反対して三木武吉(ぶきち)ら残留派8名が結成した小政党。1954年11月14日、保守再編の機運のなかで改進党、自由党反吉田派と保守合同し、日本民主党となった。

[吉田健二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「日本自由党」の意味・わかりやすい解説

日本自由党【にほんじゆうとう】

(1)1945年鳩山一郎ら旧政友会(立憲政友会)を中心に結成した保守政党。1946年4月の選挙で第1党となり,追放された鳩山に代わって吉田茂日本進歩党と連立内閣を組織。1947年4月総選挙で第2党。1948年3月幣原喜重郎日本民主党脱党者を合わせて民主自由党を結成。(2)1953年自由党を脱党した河野一郎,三木武吉ら反吉田茂強硬派が結成した小政党。1954年日本民主党に合同。
→関連項目吉田茂内閣

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本自由党」の意味・わかりやすい解説

日本自由党
にほんじゆうとう

日本の政党。1945年11月9日に結成された保守政党。総裁は鳩山一郎,幹事長は河野一郎。結成時の所属代議士 46人。綱領には「自主的にポツダム宣言を実践」し,「国体を護持」し,「自由なる経済活動を促進」することによって「国民経済の充実」をはかることがうたわれた。1946年4月10日の第2次世界大戦後初の衆議院議員総選挙で 140人が当選し第1党となったが,鳩山が公職追放となったため,大戦末期に外務大臣を務めた吉田茂が総裁就任を受諾し,日本進歩党と連立して,第1次吉田内閣が成立した。1947年4月25日の総選挙では第2党となり,野党となった。1947年11月に民主党から離党した幣原喜重郎らが結成した同志クラブ(結成時 25人)にさらに離党議員が合流して結成された民主クラブ(36人)と,1948年3月15日に合同して民主自由党となった。

日本自由党
にほんじゆうとう

日本の政党。1953年12月9日,分党派自由党(→自由党)の三木武吉ら 8人が党名を変更した保守政党。1952年10月の第4次吉田茂内閣成立後,吉田と抗争を続けていた鳩山一郎は党内に民主化同盟を結成したが,1953年3月に民主化同盟の強硬派三木ら鳩山派は別に分党派自由党を結成(総裁鳩山),1953年4月の衆議院議員総選挙では両派の自由党が争い,吉田自由党 199議席,鳩山自由党は 35議席を獲得した。かろうじて第5次吉田内閣が成立したが,長期政権担当は困難との見通しから,吉田は鳩山自由党に対して積極的に復党工作を進め,同 1953年11月に鳩山ら 23人が自由党に復帰した。その際,三木ら 8人は復帰せず,党名を日本自由党に変更したが,1954年11月24日自由党鳩山派,改進党に合流して日本民主党結成に参加した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「日本自由党」の解説

日本自由党
にほんじゆうとう

①第二次世界大戦後,旧立憲政友会系議員を中心に結成された自由主義的保守政党(1945〜48)
②1953年11月,自由党分党派三木武吉・河野一郎らが中心となり結成した保守政党(〜'54)
1945年11月9日結党。総裁は鳩山一郎。鳩山の公職追放後,吉田茂が総裁となり,日本進歩党と連立して,第1次吉田茂内閣を成立させた。'48年3月15日,日本民主党を脱党した幣原 (しではら) 喜重郎らと合同し民主自由党を結成した。
自由党分党派は鳩山一郎をはじめ大部分が復党したが,三木ら8名が残留し結党。翌'54年11月解党し,反吉田の線で日本改進党と同調して日本民主党を結成した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「日本自由党」の解説

日本自由党
にほんじゆうとう

第2次大戦後の政党。(1)鳩山一郎らの旧立憲政友会系政治家により1945年(昭和20)11月9日に結成。46年4月の衆議院選挙で140議席を獲得して第1党となる。翌5月総裁鳩山の公職追放をうけて,吉田茂が総裁となり,日本進歩党と連立して第1次吉田内閣を成立させた。48年3月民主党の分派と合同して民主自由党を結成した。(2)三木武吉ら自由党分党派のうち強硬派が,1953年12月9日に結成。翌年11月23日解党し,日本民主党の結成に加わった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「日本自由党」の意味・わかりやすい解説

日本自由党 (にほんじゆうとう)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日本自由党の言及

【自由党】より

…占領体制下の多党化状況の中で第1次から第5次までを数えた吉田茂内閣が成立。これらの吉田内閣を支えたのが自由党であり,党名は日本自由党,1948年3月に民主自由党(民自党),50年3月に自由党へと変遷した。 1945年11月9日,鳩山一郎を総裁とし,幹事長を河野一郎とする日本自由党が結党された。…

※「日本自由党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android