松山高(読み)マツヤマ タカ

20世紀日本人名事典 「松山高」の解説

松山 高
マツヤマ タカ

明治〜昭和期の教育者 清和女学校校長



生年
慶応3年12月15日(1868年)

没年
昭和26(1951)年3月5日

出生地
土佐国高岡郡能津村(高知県日高村)

学歴〔年〕
東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)〔明治27年〕卒

経歴
代々庄屋を務める家に生まれる。栃木県尋常師範学校で教鞭を執った。のち滋賀県彦根高等女学校教諭を経て、明治33年高知県立高等女学校教諭となり、以後25年に渡って同校の教壇に立った。その間、37年に洗礼を受け、キリスト教徒となる。大正15年に同校を退職したのち、昭和3年に双葉裁縫女学院を創立。11年には日本基督教高知教会経営の清和女学校校長に就任し、19年に引退するまで務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松山高」の解説

松山高 まつやま-たか

1868*-1951 明治-昭和時代前期の教育者。
慶応3年12月15日生まれ。栃木師範,彦根高女,高知高女の教師をつとめる。昭和3年双葉裁縫女学院を創設。11年日本基督教(キリストきょう)高知教会経営の清和女学校の校長となった。昭和26年3月5日死去。83歳。土佐(高知県)出身。女子高等師範(現お茶の水女子大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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