20世紀日本人名事典 「松崎芳伸」の解説
松崎 芳伸
マツザキ ホウシン
- 生年
- 大正2(1913)年3月22日
- 没年
- 平成9(1997)年11月6日
- 出生地
- 福井県小浜市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部政治学科〔昭和13年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等旭日重光章〔昭和62年〕
- 経歴
- 昭和13年厚生省に入省、のち労務省に移り、大阪労働基準局長、32年中央労働委員会事務局長を経て、36年退官。富士製鉄に入り、川崎製鋼所長、東海製鉄常務、42年富士三機鋼管副社長などを歴任。44年民社党から衆院選に立つが落選。45年前田一のあとを受けて日経連専務理事に就任。賃上げ率を生産性の伸びの範囲内に抑える“生産性基準原理”を提唱したほか、労使協調路線の基礎を築いた。62年辞任。のち日本携帯電話社長となる。また、61〜62年女性職業財団理事。著書に「労働組合うらおもて」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報