ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士製鉄」の意味・わかりやすい解説
富士製鉄
ふじせいてつ
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…第2次大戦後の合併のなかで大きな関心を集めたのは,1965‐70年前後の大型合併である。1964年の三菱三重工の合併(三菱重工業が発足),大阪商船と三井船舶の合併(対等合併で大阪商船三井船舶が発足),65年の神戸製鋼所と尼崎製鉄の合併(神戸製鋼所が存続),66年の東洋紡績と呉羽紡績の合併(東洋紡績が存続),67年の日産自動車とプリンス自動車の合併(日産自動車が存続),70年の八幡製鉄と富士製鉄の合併(対等合併で新日本製鉄が発足)などである。とくに八幡,富士の二大製鉄所の合併は,1968年4月の両社の合併の決意表明以降,実業界や通産省の賛成論と経済学者の反対論が激しく対立し,活発な議論が行われた。…
…正しくは〈しんにっぽんせいてつ〉と発音する。1970年3月,八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)が合併して成立した日本最大の銑鋼一貫生産メーカーで,生産規模はUSスチール社を上回って世界第1位である。同社の製鉄所は第2次大戦前から操業を続けている八幡,戸畑,広畑,釜石,室蘭のほか,戦後発足した堺,名古屋,大分,君津などであり,主要製品は条鋼,鋼板,鋼管などで,生産品種のバランスがとれている。…
… 日本鉄鋼業は敗戦によって壊滅的打撃を被ったが,傾斜生産方式の採用,朝鮮戦争による好況などにより急速に復興し,1953年には粗鋼生産は戦前戦時を通じての最高水準に回復した。この間,1950年には〈過度経済力集中排除法〉の適用により日本製鉄が八幡製鉄と富士製鉄に分割され,以後の日本鉄鋼業は戦前とは異なり,また多くの欧州鉄鋼業とも異なって,純然たる民間の鉄鋼会社間の競争を通じて発展していくことになった。日本鉄鋼業は,3次にわたる合理化投資によって目覚ましい発展を遂げた。…
※「富士製鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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