朝日日本歴史人物事典 「松平清武」の解説
松平清武
生年:寛文3(1663)
江戸中期の上野館林藩主。はじめ越智民部,下総守,のち松平出羽守,兵部大輔,右近将監。甲府藩主徳川綱重の次男。江戸生まれ。はじめ父の家臣越智喜清の養子となり,甲府藩士として実兄の藩主徳川綱豊に仕える。宝永1(1704)年綱豊が家宣と改め,5代将軍綱吉の養子となると,旗本に登用され2000石。翌年4000石,3年には1万4000石,翌4年には松平姓を賜り,館林に入封2万4000石。6年家宣が6代将軍になると,翌7年に3万4000石。正徳2(1712)年家宣が死去すると,遺言により5万4000石。一時廃城となっていた館林城を再築したが,享保3(1718)年には,領内42カ村が年貢の重圧に耐えかねて江戸藩邸に強訴するという館林騒動が起こるなど,多難な藩政に直面した。<参考文献>『群馬県史』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報