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松平清武 まつだいら きよたけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平清武 まつだいら-きよたけ

1663-1724 江戸時代中期の大名。
寛文3年10月20日生まれ。徳川綱重(つなしげ)の次男。6代将軍家宣(いえのぶ)の弟。はじめ越智(おち)喜清にやしなわれて越智姓を名のる。宝永4年松平姓をゆるされ,上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)藩主松平(越智)家初代となる。2万4000石。のち5万4000石に加増。享保(きょうほう)9年9月16日死去。62歳。初名は吉忠(よしただ),のち清宣(きよのぶ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

松平清武

没年:享保9.9.16(1724.11.1)
生年:寛文3(1663)
江戸中期の上野館林藩主。はじめ越智民部,下総守,のち松平出羽守,兵部大輔,右近将監。甲府藩主徳川綱重の次男。江戸生まれ。はじめ父の家臣越智喜清の養子となり,甲府藩士として実兄の藩主徳川綱豊に仕える。宝永1(1704)年綱豊が家宣と改め,5代将軍綱吉の養子となると,旗本に登用され2000石。翌年4000石,3年には1万4000石,翌4年には松平姓を賜り,館林に入封2万4000石。6年家宣が6代将軍になると,翌7年に3万4000石。正徳2(1712)年家宣が死去すると,遺言により5万4000石。一時廃城となっていた館林城を再築したが,享保3(1718)年には,領内42カ村が年貢の重圧に耐えかねて江戸藩邸に強訴するという館林騒動が起こるなど,多難な藩政に直面した。<参考文献>『群馬県史』

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典の解説

松平清武 (まつだいらきよたけ)

生年月日:1663年10月20日
江戸時代中期の大名
1724年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の松平清武の言及

【館林[市]】より

…1590年(天正18)徳川家康の関東入国に伴い,榊原康政が10万石で入封,利根川の築堤など領内の開発とともに城郭,城下町を拡大整備した。その後,徳川綱吉が城主となり,城の大改修が行われたが,将軍になったあと1683年(天和3)廃城破却となり,1707年(宝永4)松平清武の入封以後再築された。城は尾曳(おびき)城といい,城沼を利用して濠とし本丸以下7郭(約43ha)。…

※「松平清武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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