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徳川綱重 とくがわ つなしげ

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美術人名辞典の解説

徳川綱重

江戸前期の大名。甲斐甲府藩主。三代将軍徳川家光の次男。幼名は長松。慶安四年賄料領知十五万石を与えられ、承応2年元服、従三位中将兼左馬頭に叙任される。寛文元年に甲府十万石を加増されて二五万石を領し、参議に任じられて甲府宰相と称された。延宝6年(1678)歿、34才。

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デジタル大辞泉の解説

とくがわ‐つなしげ〔トクがは‐〕【徳川綱重】

[1644~1678]江戸初期の甲府藩主。家光の三男。第6代将軍家宣の父。第5代将軍に擁立の動きがあったが実現しなかった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川綱重 とくがわ-つなしげ

1644-1678 江戸時代前期の大名。
寛永21年5月24日生まれ。徳川家光(いえみつ)の3男。徳川家宣(いえのぶ)の父。寛文元年甲斐(かい)(山梨県)府中藩主徳川家初代となる。25万石。甲府宰相とよばれた。兄の4代将軍徳川家綱(いえつな)の後継者候補とされたが,大老酒井忠清(ただきよ)の反対で実現しなかったという。延宝6年9月14日死去。35歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

徳川綱重

没年:延宝6.9.14(1678.10.29)
生年:正保1.5.24(1644.6.28)
江戸前期の甲斐府中(甲府)藩主。左馬頭,参議となり甲府宰相と呼ばれる。3代将軍家光の3男として江戸城生まれる。4代将軍家綱の弟,5代将軍綱吉の兄。天樹院千姫の養子となり,慶安4(1651)年甲府15万石を領し,寛文1(1661)年10万石加増。ただし甲府に居住せず江戸桜田に屋敷を持ち定府。所領の支配は家臣が当たり,寛文年間(1661~73)に巨摩郡を検地するなど支配体制を確立したが,年貢が高額で,治安が悪く災害も頻発し,代官を処罰した事件も起きている。寛文2年に誕生した長男虎松が,のち綱豊,家宣と改め6代将軍となる。

(根岸茂夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

とくがわつなしげ【徳川綱重】

1644~1678) 江戸前期の大名。家光の三男。家宣の父。幼名長松麿。通称甲府殿。甲府二五万石領主。五代将軍就任を図ったが、大老酒井忠清に阻まれた。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳川綱重
とくがわつなしげ

[生]正保1(1644).5.24. 江戸
[没]延宝6(1678).9.14. 甲府
江戸時代前期の甲府藩主。甲府殿ともいう。家光の3男。母は藤枝氏。幼名は長松。寛文1 (1661) 年甲斐国 25万石を襲封。5代将軍継嗣の動きもあったが,大老酒井忠清の反対にあって実現しなかった。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳川綱重
とくがわつなしげ
(1644―1678)

江戸前期、3代将軍家光(いえみつ)の第3子。6代将軍家宣(いえのぶ)の父。母は側室藤枝(ふじえだ)氏お夏。幼時から家光の姉天樹院(千姫(せんひめ))に引き取られ養育された。家光病没直前の1651年(慶安4)4月、甲斐(かい)(山梨県)などで15万石が与えられ、江戸・桜田の屋敷に住した。61年(寛文1)には10万石の加増を受け、つごう25万石を領するに至った。官位も従四位(じゅしい)下、左馬頭(さまのかみ)、左近衛権中将(さこんえごんのちゅうじょう)から、正三位(しょうさんみ)、参議に進んだ。このような将軍家連枝(れんし)としての扱いは2歳下の弟綱吉(つなよし)と同格であり、御三家に准ずるものであった。兄4代将軍家綱(いえつな)には世嗣(せいし)がなく、綱重を擁立して将軍家の相続者としようとする運動があり、これに失敗して綱重は自殺した、とする説もあるが、事実とは思えない。[林 亮勝]

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世界大百科事典内の徳川綱重の言及

【甲斐国】より

…07年幕領となって武川筋,逸見筋在住の諸士による城番制がとられたあと,16年(元和2)徳川忠長が甲府城主となったが,32年(寛永9)除封されると再び甲府城番の交代制が行われた。61年(寛文1)徳川綱重が領知高14万4000石を笛吹川以西の山梨郡と巨摩郡にあたえられると(河西領),その地の給人は他へ移され,笛吹川以東の河東は幕府直轄領と旗本給地が入り組んだ。綱重から子綱豊(のちの家宣)が将軍綱吉の養嗣子として江戸城西丸に入るまで甲府家は43年間続いた。…

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