松本団升(読み)マツモト ダンショウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松本団升」の解説

松本 団升
マツモト ダンショウ


職業
歌舞伎振付師 歌舞伎俳優

専門
地唄舞伎

肩書
岐阜県重要無形文化財〔平成14年〕

本名
原田 光泰(ハラダ ミツヤス)

生年月日
大正11年

出生地
長野県 諏訪郡平野村(岡谷市)

経歴
父が食堂の傍ら興行師をしていたことから、3歳で子役となり、旅回りにも同行した。東京の呉服店に2年間奉公した後、松本松之助の名で再び舞台に立ち、昭和17年仲間と一座を作る。21年復員し、振付師として活動を始める。23年父の故郷である岐阜県山岡町で、同地方に伝わる地唄舞伎(東濃歌舞伎)の演出をしたことがきっかけとなり、以来同地で活躍。年平均40幕、約150演目の上演を続ける傍ら後進の指導にあたりその保存・振興にも尽力。33年松本団女となり、43年団升を襲名。また歌舞伎俳優の3代目市川猿之助と親交を結び、弟子が市川笑三郎として猿之助歌舞伎で活躍。

受賞
岐阜県芸術文化賞〔昭和55年〕,地域文化功労者〔昭和62年〕,伝統文化ポーラ賞(特賞)〔平成5年〕,山岡町名誉町民〔平成7年〕,東海テレビ文化賞(第29回)〔平成8年〕,ニッセイ・バックステージ賞(第8回)〔平成14年〕

没年月日
平成19年 8月28日 (2007年)

家族
二女=松本 団女(2代目)

伝記
美濃の地歌舞伎 小栗 克介 編,近藤 誠宏 写真(発行元 岐阜新聞社 ’99発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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