岡谷市(読み)オカヤシ

デジタル大辞泉 「岡谷市」の意味・読み・例文・類語

おかや‐し〔をかや‐〕【岡谷市】

岡谷

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日本歴史地名大系 「岡谷市」の解説

岡谷市
おかやし

面積:七九・一九平方キロ

諏訪盆地すわぼんちの北西部を占め、北は鉢伏はちぶせ(一九二八・五メートル)、西はたかボッチ山(一六六四・九メートル)ひがし山山地によって限られ、これらの山地を源とする塚間つかま川・横河よつかわ川・川の三河川は南流して扇状地をつくり諏訪湖へ入る。この扇状地上(標高八〇〇メートル前後)に集落が形成されている。また、諏訪湖より流れ出る天竜川の上流の両岸にも集落が連なり、更に諏訪湖西部、赤石あかいし山系の北麓にも湖岸沿いに細長い集落をつくっている。岡谷の名は「延喜式」の信濃一六牧の中に「岡屋牧」とあるのが初見である。

〔原始〕

市内には原始時代より平安時代頃までを通じて一五〇ほどの遺跡がある。その主なものとしては、中央部の岡谷地区(旧平野村)の湖岸近くに海戸かいど遺跡(縄文・弥生・奈良・平安時代)、市の中心部に位置する庄之畑しようのはた遺跡(弥生中期)、西部の塩尻しおじり市に近い標高九五〇メートルの樋沢ひざわ遺跡(縄文早期)、北部の山麓近くに梨久保なしくぼ遺跡(縄文中期)などがある。古墳としては南部の湖岸に近い丘陵上の糠塚ぬかづか古墳、天竜川河畔の荒神塚こうじんづか古墳、北部山麓のコウモリ塚・姥塚うばづか唐櫃石かろうといし古墳等及び平坦地に位置するスクモ塚古墳がある。このうちスクモ塚古墳は前方後円墳ともいわれ、他はすべて円墳である。これらの古墳は、七世紀から八世紀にかけての古墳時代後・末期のもので、出土品に馬具類の多いことが共通の特徴である。

〔古代・中世〕

諏訪湖の南西岸にあたるみなと地区(小坂・花岡)と天竜川東岸の川岸かわぎし地区(橋原はしばら鮎沢あいざわ駒沢こまざわ)は諏訪社上社大祝の支配下に、天竜川西岸の川岸地区(新倉あらくら・三沢)と旧平野ひらの村・長地おさち地区は下社大祝金刺氏の支配下にあった。また「延喜式」記載の岡屋おかのや牧が早くからあって、奈良時代末頃から平安時代初期には官牧の指定を受けていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡谷市」の意味・わかりやすい解説

岡谷〔市〕
おかや

長野県中部,諏訪湖北西岸にある市。 1936年市制。 55年湊村および川岸村,57年長地村を編入。明治初年まで養蚕を主とする農村であったが,1873年洋式製糸工場が導入され,以後製糸業都市として急速に発展。第2次世界大戦後も生糸,ナイロンなどの繊維工業が行われるが,カメラ,時計,オルゴールなどの精密機械工業に転換したものが多い。市内には白壁の繭倉庫や煙突が製糸王国の名残りをとどめ,蚕糸博物館には古い製糸機械などが展示されている。諏訪湖畔は信州味噌の生産で名高い。梨久保遺跡は史跡。塩尻市との境の塩尻峠は眺望がよく塩嶺王城県立自然公園となっている。また市域の一部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。湖岸を JR中央本線,市域南部を国道 20号線が通り,長野自動車道と中央自動車道の分岐点,岡谷ジャンクションがある。面積 85.10km2(境界未定)。人口 4万7790(2020)。

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