松村秀逸(読み)マツムラ シュウイツ

20世紀日本人名事典 「松村秀逸」の解説

松村 秀逸
マツムラ シュウイツ

大正・昭和期の陸軍少将,政治家 元・参院議員(自民党)。



生年
明治33(1900)年3月1日

没年
昭和37(1962)年9月7日

出生地
熊本県

学歴〔年〕
陸士卒,陸大〔昭和3年〕卒

経歴
大正9年砲兵少尉任官。参謀本部付、野砲兵学校教官、10年兵器本廠付新聞班員となり、11年の2.26事件で「兵に告ぐ」の放送文を作成。13年3月関東軍参謀、同年7月軍務局付、14年大本営陸軍報道部長、15年情報局第2部第1課長、17年同第2部長心得、18年大本営陸軍報道部長、19年少将。20年2月大本営報道部は陸海軍一体となり同第1部長。同年7月広島の第59軍参謀長となり原爆被爆。戦後公職追放、解除後の31年参院選全国区に当選、参院法務委員長、自民党国防部長をつとめ、37年参院議員に再選された。戦争中の報道責任者として新聞統制を行ったり、「改造」「中央公論」の廃刊など、数々の言論統制を行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松村秀逸」の解説

松村 秀逸
マツムラ シュウイツ


肩書
元・参院議員(自民党)

生年月日
明治33年3月1日

出生地
熊本県

学歴
陸士卒 陸大〔昭和3年〕卒

経歴
大正9年砲兵少尉任官。参謀本部付、野砲兵学校教官、10年兵器本廠付新聞班員となり、11年の2.26事件で「兵に告ぐ」の放送文を作成。13年3月関東軍参謀、同年7月軍務局付、14年大本営陸軍報道部長、15年情報局第2部第1課長、17年同第2部長心得、18年大本営陸軍報道部長、19年少将。20年2月大本営報道部は陸海軍一体となり同第1部長。同年7月広島の第59軍参謀長となり原爆被爆。戦後公職追放、解除後の31年参院選全国区に当選、参院法務委員長、自民党国防部長をつとめ、37年参院議員に再選された。戦争中の報道責任者として新聞統制を行ったり、「改造」「中央公論」の廃刊など、数々の言論統制を行った。

没年月日
昭和37年9月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村秀逸」の解説

松村秀逸 まつむら-しゅういつ

1900-1962 大正-昭和時代の軍人,政治家。
明治33年3月1日生まれ。大本営陸軍部報道部長,内閣情報局第一部長などをつとめ,報道管制など戦時下の言論統制にたずさわる。昭和19年陸軍少将。31年参議院議員(当選2回,自民党)。昭和37年9月7日死去。62歳。熊本県出身。陸軍大学校卒。著作に「近代戦争史略」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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