内閣情報局(読み)ないかくじょうほうきょく

改訂新版 世界大百科事典 「内閣情報局」の意味・わかりやすい解説

内閣情報局 (ないかくじょうほうきょく)

情報を収集・統制し,世論操作,宣伝にあたるため,1940年12月に創設された内閣直属機関。第1次大戦後,当時の戦略思想の主流となった総力戦思想に触発されて,強力な情報宣伝の国家機関を設立しようとする動きが軍部などに生じ,陸海軍外務省の各部局の一部に宣伝政策のための機関が設立された。満州事変に際しては軍や外務省の対外宣伝に相違がみられ,政府部内の情報宣伝の統一強化が要望され,1932年9月10日,外務,陸軍,海軍,文部,内務,逓信6省の情報関係局部長による非公式な情報委員会が発足した。情報委員会は英米系の通信社に対抗するため,国内の通信社の合同により36年,単一の国策通信社として同盟通信社を設置した。36年7月1日,情報委員会は官制による公式の機関に昇格し,各省が実施していた情報宣伝や世論指導の連絡の調整にあたった。情報委員会は各省に属する委員会と違って独立制が強く,固有の事務局をもち,同年10月には《週報》を発刊した。さらに37年9月25日,情報委員会は内閣総理大臣の管理に属する内閣情報部に拡大・改組され,従来の業務に,各省をこえる情報宣伝業務を加えて,実施機関的性格を強め,国民精神総動員運動に関する事務も担当した。専任の情報官をもったが,各省からの兼任者も多く,人員は150人ほどに拡大した。

 1940年12月,情報部は外務省,陸軍省の情報部,海軍省軍事普及部の事務と内務省検閲行政の一部,逓信省の電波行政の一部を統合した内閣情報局に昇格し,〈国策遂行の基礎たる事項に関する情報収集,報道及啓発宣伝〉のほか,新聞,出版物,放送の検閲にあたることになった。情報局は総裁のもと,次長,情報官51人のほか,多数の嘱託を採用し,軍人出身情報官が勢威をふるった。組織は初め1官房5部よりなり,第1部(企画・調査),第2部(新聞,出版,放送の指導,取締り),第3部(対外宣伝),第4部(検閲),第5部(対内文化宣伝)で,事務所は帝国劇場を使用。43年に一部改組されるが,最盛時の人員は550人。情報局は,言論,文化,マス・メディアの統制に絶大な力を発揮し,とくに戦時統制経済の強化を背景に,用紙割当権などで言論・文化機関には生殺与奪に等しい権限を行使し,新聞・雑誌の統廃合を強行した。また《週報》《写真週報》をも引き継ぎ,国民意識の画一化を促進した。しかし日中戦争の拡大にともない,1937年大本営が設置されるとともに,軍令,作戦に関する報道発表を担当する大本営陸・海軍報道部が設置され,戦況報道にあたっており,情報局との連絡調整のための官制改革もなされたが,軍事情報を含めた情報宣伝の一元化は達成されなかった。日本敗戦後,軍事・戦時的機能の解消のため改組と組織の縮小がなされたが,45年末で廃止された。歴代総裁は,伊藤述史谷正之天羽英二緒方竹虎下村宏河相達夫である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内閣情報局」の意味・わかりやすい解説

内閣情報局
ないかくじょうほうきょく

第二次近衛文麿(このえふみまろ)内閣期の1940年(昭和15)12月に発足したファシズム的マス・メディア統制のための国家機関。すでに1932年9月には、外務、陸軍、海軍、文部、内務、逓信(ていしん)の各省の関係官による非公式な情報委員会が設立されていたが、これが36年7月に内閣情報委員会に発展した。この段階での機能は各省の関係機関の連絡調整にとどまったが、36年6月には対外宣伝強化のためにつくられた同盟通信社を監督、助成する独自の任務をもち、また、同年10月には『週報』を創刊した。内閣情報委員会は37年9月に内閣情報部に改組、連絡調整に加えて、部分的にではあるが独自の情報宣伝機能を担うことになり、専任の情報官が置かれた。さらに40年12月には内閣情報局に改組され、マス・メディアの取締りと内外への情報宣伝機能を統合した一元的な中央情報機関となった。情報局には総裁、次長の下に、一官房、五部17課が置かれた。第一部は企画調査、第二部は新聞、出版、報道の指導取締り、第三部は対外宣伝、第四部は出版物などの検閲取締り、第五部は映画、芸術などの文化宣伝を、それぞれ担当した。このうち、とくに第一部、第二部の部長、情報官には軍人が配置されて主導権を握り、一方では言論界の人間を動員して官民一致の態勢をつくりあげ、太平洋戦争期には「世論指導」に威力を発揮した。しかし、大本営報道部は存続し、内務省警保局検閲課との間では兼官制度を敷くなど機構の実質的一元化は達成されず、ために数次の機構改革が行われた。一元化が完成したのは敗戦直前の45年5月で、年末には機構そのものが廃止された。

[北河賢三]

『『現代史資料40・41 マス・メディア統制1・2』(1973、75・みすず書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内閣情報局」の意味・わかりやすい解説

内閣情報局
ないかくじょうほうきょく

第2次世界大戦中,情報収集,宣伝のためおかれた内閣直属の国家機関で,言論,思想統制の中枢となった。第2次近衛内閣のもと,1940年 12月情報局官制 (昭和 15年勅令 864号) の公布によって設立された。これは満州事変後,36年報道機関などを監督する目的で設立された情報委員会が,翌年拡充改組されて内閣情報部となったものをさらに拡充し,外務省情報部その他各省の関係事務を統合して情報局に発展解消したものである。政策遂行にあたっての基礎的情報に関する事務,内外の情報収集と報道啓発宣伝活動のほか新聞,出版,放送,映画などあらゆるメディアに対する強力な統制を行い,戦争遂行に対する反対論,思想を弾圧した。またその長は総裁と呼ばれ,内閣書記官長,法制局長官,企画院総裁と並び内閣4長官の1つとして重きをなした。 45年 12月 31日解散した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「内閣情報局」の意味・わかりやすい解説

内閣情報局【ないかくじょうほうきょく】

第2次大戦中,情報宣伝事務と言論思想の統制を行った内閣直属の機関。同盟通信社を監督するために1936年設置された内閣の情報委員会が,1937年内閣情報部となり,1940年さらに拡充改組されたもの。思想統制の元締として,新聞・雑誌から芝居に至るまで指導を行った。1945年解散。
→関連項目日本文学報国会

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「内閣情報局」の解説

内閣情報局
ないかくじょうほうきょく

正称は情報局。第2次大戦期に情報宣伝活動を所掌とした内閣の外局。1940年(昭和15)12月6日設置。総裁は親任官で国務大臣が兼ねることもあった。各庁の情報に関する連絡機関であった内閣情報部(36年7月1日設置の内閣情報委員会が37年9月25日昇格)を改組した機関だが,任務は大きく異なり,情報収集・宣伝のほか言論報道の指導・検閲・取締りを行った。しかし軍事関係は大本営報道部などの所管であった。両者は45年4~6月にようやく情報局に統合された。敗戦後GHQの覚書により取締り機能が停止され,45年12月31日廃止。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の内閣情報局の言及

【言論統制】より

…満州事変以後のファシズム時代の言論統制は一段ときびしさを加え,自由主義を含むあらゆる反ファシズム言論の息の根をとめた。最初は情報宣伝の連絡調整機関として設置された内閣情報委員会(1936)は,情報部(1937)から情報局(1940,〈内閣情報局〉の項目参照)へと拡大発展し言論統制と情報宣伝を統一的に実施する一大国家機関が出現することになった。これと並行して,国外国内のニュース・ソースを一元化した国策通信社〈同盟通信社〉が設立(1936)された。…

※「内閣情報局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android