デジタル大辞泉 「改造」の意味・読み・例文・類語
かい‐ぞう〔‐ザウ〕【改造】
[類語]改革・変革・改変・革命・改新・維新・クーデター・世直し
大正デモクラシー運動の高揚期に改造社の山本実彦(さねひこ)によって1919年(大正8)4月創刊された総合雑誌。創刊当初は明確な編集方針をもたず発行部数3万部(定価35銭)のうち多くが返品されたが,4号から当時の社会改造思想を正面にすえた特集を組み,多くの読者をつかんだ。20年賀川豊彦の連載《死線を越えて》を単行本化して成功。B.ラッセル,サンガー夫人,アインシュタインなどの外国知識人を招いたり,プロレタリア文学流行期にはそれに多くの誌面を割くなど,つねに時代の新思潮を敏感にとらえ大正末年には《中央公論》とならぶまでに成長した。本誌の最多執筆者だった山川均のほか河上肇,猪俣津南雄,櫛田民蔵ら多くのマルクス主義者に誌面を開放し,社会主義運動とマルクス主義の普及に多大の貢献をした。いっぽう,文芸欄は文壇の登竜門としての権威をもち,志賀直哉《暗夜行路》,中条(宮本)百合子《伸子》,芥川竜之介《河童》などの名作も生まれた。評論家の宮本顕治,小林秀雄,作家の芹沢光治良らが懸賞評論,懸賞小説から文壇に出ている。改造社は《女性改造》(1922-24,46-51),《文芸》(1933-44)などの雑誌も発行したほか,単行本の出版もし,いわゆる円本時代の端緒をひらき,29年には《改造文庫》を発刊した。戦時期には《改造》42年8・9月号に掲載された情報局検閲済みの細川嘉六の論文〈世界史の動向と日本〉が陸軍報道部に摘発され,〈横浜事件〉の捏造(ねつぞう)につながった。以後改造社への軍部の圧力が強まり,編集部員が入れかえられ社会批判の姿勢をくずすが,44年6月同社は解散,6月号かぎり《改造》も休刊した。戦後,46年1月からGHQの要請もあって再刊されるが内容も貧弱になり,55年1月編集局員全員解雇から争議が発生し,翌月廃刊した。
執筆者:梅田 俊英
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総合雑誌。改造社から1919年(大正8)4月、山本実彦(さねひこ)が創刊。大正デモクラシーの思潮を背景として生まれた社会問題や社会主義思想に関する論文を掲載し、河上肇(はじめ)、櫛田(くしだ)民蔵、山川均(ひとし)、大森義太郎(よしたろう)らのマルクス学者を執筆者として登場させ、社会主義に鋭い関心を示した。第一次世界大戦後の不況、関東大震災による混乱、世界恐慌、慢性的失業、軍国主義日本の満州侵略という事態に対して、マルクス主義の立場からの論文は、当時の多くの若者をとらえた。創作欄も充実しており、志賀直哉(なおや)『暗夜行路』、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)『河童(かっぱ)』、堀辰雄『風立ちぬ』など、近代の日本文学史に残る名作を掲載した。評論家宮本顕治、小林秀雄、作家芹沢光治良(せりざわこうじろう)、保高(やすたか)徳蔵らは、いずれも『改造』懸賞評論・懸賞小説が生んだ人々である。またバートランド・ラッセルの論文を載せたり、アインシュタインを日本に招待して、海外の新思想の紹介に努めた。
しかし、満州事変から太平洋戦争への過程のなかで、編集は後退。戦争下の1942年(昭和17)8~9月号の細川嘉六(かろく)の論文「世界史の動向と日本」は、情報局の事前の検閲は通過したのに、陸軍報道部に摘発されて発禁となり、この事件を機として編集者や執筆者が神奈川県特高に検挙され「横浜事件」に発展した。44年6月に改造社は軍部によって解散させられた。敗戦後再刊されたが、55年(昭和30)1月、編集部全員首切りをめぐる労働争議が起こり、55年2月号で廃刊になった。
[松浦総三]
1919年(大正8)4月山本実彦(さねひこ)の改造社から創刊された総合雑誌。山川均(ひとし)・大杉栄・河上肇(はじめ)・櫛田(くしだ)民蔵らによるマルクス主義,B.ラッセル,A.アインシュタインらの外国の新知識の紹介など,第1次大戦後の新思潮を敏感にとりいれた誌面で読者を獲得した。文芸では志賀直哉「暗夜行路」,芥川竜之介「河童」,武者小路実篤「或る男」,細井和喜蔵「女工哀史」など,また小林秀雄・宮本顕治らの評論を掲載し,中央公論とならぶ総合雑誌となる。しかし42年(昭和17)8・9月号に掲載された細川嘉六の論文に端を発した横浜事件で軍部の圧力が加わり,44年6月休刊。第2次大戦後GHQの要請で再刊されるが,55年2月社内の争議で廃刊。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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… 徳富蘇峰が1887年に創刊した《国民之友》は,彼が青年期に主唱した平民主義の論説や民友社同人らの評論とともに,二葉亭四迷などの小説を掲載して,総合雑誌の基本的なスタイルを確立した。博文館の《太陽》(1895)もその形式にならったが,これをいっそう大胆に発展させたのが大正時代の《中央公論》と《改造》とであった。《中央公論》(1887年創刊の《反省会雑誌》が99年に改題)の編集長滝田樗陰(ちよいん)は,吉野作造を起用して民本主義の論説評論を連打するとともに若い作家群を発掘して魅力を加えた。…
…太平洋戦争下の特高警察による,研究者や編集者に対する言論・思想弾圧事件。1942年,総合雑誌《改造》8,9月号に細川嘉六論文〈世界史の動向と日本〉が掲載されたが,発行1ヵ月後,大本営報道部長谷萩少将が細川論文は共産主義の宣伝であると非難し,これをきっかけとして神奈川県特高警察は,9月14日に細川嘉六を出版法違反で検挙し,知識人に影響力をもつ改造社弾圧の口実をデッチ上げようとした。しかし,細川論文は厳重な情報局の事前検閲を通過していたぐらいだから,共産主義宣伝の証拠に決め手を欠いていた。…
※「改造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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