朝日日本歴史人物事典 「松永和楓(3代)」の解説
松永和楓(3代)
生年:天保10(1839)
明治大正期の長唄唄方。江戸日本橋の商人穂坂金兵衛の長男。もと清元叶太夫。5代目松永忠五郎の女婿となり,6代目松永鉄五郎を経て明治10(1877)年,7代目忠五郎となり,13年には3代目和楓を名乗る(和風名儀は初代松永忠五郎に始まる)。若くして清元節を学び,加えて大音美声,清元の節回しを応用した独特の長唄を唄い一世を風靡したが,負けん気が強いところから9代目市川団十郎と衝突してうとまれ,晩年は不遇であった。41年に鉄翁と改名している。和風(楓)の名跡は昭和期の4代におよぶ。3代目は和楓と記し,美声と独特の節回しで知られた。4代目和風も一時期,和楓と記した。<参考文献>3代目松永和楓談「長唄の話」(『唾玉集』)
(植田隆之助)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報