松田喜一(読み)マツダ キイチ

20世紀日本人名事典 「松田喜一」の解説

松田 喜一
マツダ キイチ

大正・昭和期の部落解放運動



生年
明治32(1899)年2月20日

没年
昭和40(1965)年2月8日

出生地
奈良県山辺郡二階堂村嘉幡(現・天理市)

出身地
大阪府大阪市南区

学歴〔年〕
小学中退

経歴
煙草専売局などで働きながら独学し、社会主義思想を身につけ、日本社会主義同盟に加盟する。大正11年全国水平社創立大会に参加し、12年水平社を結成。同年には全国水平社青年同盟を結成。14年全水中央委員・常任理事となって活動。15年共産党に入党し、水平社運動を続けるが、昭和3年の3.15事件で検挙され懲役4年に処せられた。戦時中は大阪経済更生会の運動につくし、戦後部落解放全国委員会の結成に参加。部落解放同盟大阪府連合会委員長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田喜一」の解説

松田喜一 まつだ-きいち

1899-1965 大正-昭和時代の部落解放運動家。
明治32年2月20日生まれ。大正11年全国水平社創立にくわわり,全水青年同盟委員長,本部理事を歴任。共産党にはいり,昭和3年三・一五事件で懲役4年。戦後,部落解放全国委員会(のち部落解放同盟)結成に参画し,大阪府連合会委員長,中央副委員長などをつとめた。昭和40年2月8日死去。65歳。奈良県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松田喜一」の解説

松田 喜一 (まつだ きいち)

生年月日:1899年2月20日
大正時代;昭和時代の部落解放運動家
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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