日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本社会主義同盟」の意味・わかりやすい解説
日本社会主義同盟
にほんしゃかいしゅぎどうめい
大正時代の社会主義者の大同団結組織。第一次世界大戦後、社会主義運動が復活するなかで、社会主義諸団体の大同団結気運が高まり、1920年(大正9)8月5日に日本社会主義同盟準備会が結成された。発起人は11月には30名となり、堺利彦(さかいとしひこ)、山川均(ひとし)、大杉栄(さかえ)ら社会主義者、赤松克麿(かつまろ)(新人会)、和田巌(いわお)(建設者同盟)など学生団体の指導者、麻生久(あそうひさし)(大日本労働総同盟友愛会)、布留川桂(ふるかわけい)(正進会)など労働組合代表、大庭柯公(おおばかこう)(著作家組合)、嶋中(しまなか)雄三(文化学会)、小川未明(みめい)など幅広い団体と個人を網羅していた。これは、明治末以来小グループに分散していた社会主義者が一つの組織に結集した点で、また労働運動と社会主義者が結合した点で画期的なできごとであった。準備会結成の翌月、堺の『新社会評論』を『社会主義』と改題して機関誌とし、また各地で宣伝活動を進めつつ創立大会を迎えた。大会は12月10日の予定だったが、当局の解散命令を予知し、200名が集まった前日の懇談会を大会に切り換え、10日は報告集会となった。同盟加入者は創立当時3000名、後の中国共産党指導者李大釗(りたいしょう)など中国人、朝鮮人も加入していた。支部は大阪、神戸など五か所に置かれた。同盟は21年5月9日第2回大会を開いたが、弾圧が厳しく同月28日解散を命ぜられ、機関誌も9月号で停刊した。しかしこの間、外的条件(弾圧)とともに、創立当時はまだ未分化状態だった社会主義諸潮流の分化は急速で、同盟はアナ・ボル対立のなかですでに半身不随になっていた。解散を契機に各潮流はそれぞれの立場から運動の再結集を図っていった。
[荒川章二]
『藤井正著『日本社会主義同盟の歴史的意義』(増島宏編『日本の統一戦線 上』所収・1978・大月書店)』▽『岡本宏著『日本社会主義政党論史序説』(1968・法律文化社)』▽『犬丸義一著『日本共産党の創立』(1982・青木書店)』▽『大河内一男・松尾洋著『日本労働組合物語 大正』(1965・筑摩書房)』