日本大百科全書(ニッポニカ) 「松田敦朝」の意味・わかりやすい解説
松田敦朝
まつだあつとも
(1837―1903)
幕末から明治の銅版画家。京都に生まれる。銅版師初代玄々堂松本保居の長男。儀十郎、のち敦朝と名のる。1849年(嘉永2)ごろ松田姓となり、緑山(ろくざん)、蘭香亭(らんこうてい)、清泉堂(せいせんどう)と号した。父に銅版画を学び、幕末ごろまでは名所図などを手がけた。68年(明治1)二条城で太政官札(だじょうかんさつ)を製造。翌年大蔵省紙幣寮(しへいりょう)御用となって東京に移り、紙幣や切手、証券などを製作する。74年玄々堂彫刻社を設立して銅・石版画の普及に尽くす。また高橋由一(ゆいち)、中丸精十郎(なかまるせいじゅうろう)、亀井至一(しいち)ら数多くの洋画家を庇護(ひご)した功績も大きい。
[二階堂充]