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松田緑山 まつだ ろくざん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松田緑山 まつだ-ろくざん

1837-1903 幕末-明治時代の銅版画家。
天保(てんぽう)8年2月4日生まれ。初代玄々堂松本儀平(保居)の長男。2代玄々堂をつぎ,名所図を制作。維新後,東京で紙幣,切手,印紙,証券などを製作する。明治7年玄々堂彫刻社を設立し,銅版画,石版画の普及と洋画家の育成につくした。明治36年10月21日死去。67歳。京都出身。名は敦朝(あつとも)。別号に蘭香亭,清泉堂。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松田緑山

没年:明治36.10.21(1903)
生年:天保8.2.4(1837.3.10)
明治初期の銅版画家。緑山とも。精密な銅版画で知られた初代松本玄々堂の長男として京都に生まれる。幼名亀之助。のち儀十郎,敦朝。緑山,蘭香亭,2代玄々堂と号し,GenⅡ とも署名した。父に学び,京都名所図などの銅版画を出版。また,紀州(和歌山県),水戸(茨城県)などの藩札を製作。その技術を認められ,明治3(1870)年,明治政府から太政官札の印刷を命じられた。7年,政府の依頼による紙幣印刷の仕事を終えたのち,石版技術を学んで玄々堂銅石版工房を組織。多くの弟子を育て,銅版から石版への橋渡しをした。油絵も描き,第1回内国勧業博覧会(1877)に出品した油絵で花紋賞を受けている。

(山梨絵美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松田緑山
まつだろくざん

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世界大百科事典内の松田緑山の言及

【リトグラフ】より

…そこでは外人教師キヨソーネやポラードが石井鼎湖,青野桑洲,柳田竜雪らを指導した。民間でも梅村翠山(1839‐1906)の彫刻会社と松田緑山(1837‐1903)の玄々堂が,石版印刷の普及に大きな貢献をした。手形,切符,地図,レッテルなどの商業印刷を引き受けるとともに,玄々堂は画学生の養成もし,高橋由一,山本芳翠,五姓田義松らが門下を指導して,肖像画の注文に応えた。…

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