林義端(読み)はやし・ぎたん

朝日日本歴史人物事典 「林義端」の解説

林義端

没年正徳1.5.8(1711.6.23)
生年:生年不詳
江戸時代の浮世草子作者,書肆。字は九成,九兵衛と称し,文会堂と号する。京都で両替商をしていた貞享2(1685)年,伊藤仁斎古義堂に入門し,元禄2(1689)年までには書肆に転業したらしい。元禄5年,浅井了意遺作狗張子』に,自ら序文を書いて出版。それに倣って,元禄8年に『玉櫛笥』,翌9年に『玉箒木』という怪談集を著した。他に編著として,『搏桑名賢文集』『搏桑名賢詩集』などがある。<参考文献>柳牧也「書肆・林義端考」(『国文学研究』21号),中嶋隆「林文会堂義端年譜稿」(『国文学研究』85,86号)

(樫澤葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林義端」の解説

林義端 はやし-ぎたん

?-1711 江戸時代前期-中期本屋,浮世草子作者。
京都東洞院通夷川(えびすがわ)上ルにすみ,元禄(げんろく)2年(1689)ごろ本屋文会堂をひらく。伊藤仁斎(じんさい)の門下。怪異小説「玉櫛笥(たまくしげ)」「玉箒子(たまははき)」をあらわした。正徳(しょうとく)元年5月8日死去。字(あざな)は九成(きゅうせい)。通称は九兵衛(くへえ)。編著に「搏桑名賢詩集」「搏桑名賢文集」など。

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