林野保
はやしのほ
「和名抄」英多郡林野郷の郷名を継ぐか。吉野川と梶並川の合流地域である林野を遺称地とし、史料上に三海田・平野がみえることから、両川に挟まれた地帯に推定される。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)八月八日条に尊勝寺(跡地は現京都市左京区)領として「林野英多保」とみえ、梶原景時らが非法をしたために尊勝寺が幕府に訴えている。その後、在地の御家人江見氏が一分地頭職を有し、元亨二年(一三二二)に江見信茂は出家暇を申出ている(同年三月七日「六波羅御教書」入来院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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