朝日日本歴史人物事典 「柏原学而」の解説
柏原学而
生年:天保6.4(1835)
幕末明治期の蘭方医。江戸幕府15代将軍徳川慶喜の侍医。高松藩(高松市)藩医謙好の3男で本名は孝章。医師の中桐文柄に養育され,のちその長女と結婚したが,妻の死により柏原に復籍。安政1(1854)年大坂に出て緒方洪庵の適塾に学び,一時塾頭も務めた。文久2(1862)年江戸で石川桜所に師事,元治1(1864)年4月一橋(のち徳川)慶喜の侍医となる。京都,大坂,江戸,水戸と慶喜に従い,駿府(静岡県)移住後も君側を離れず,古武士の風格があった。静岡では駿府病院医師となり,のち慶喜邸の隣で開業した。『祇布斯繃帯書』『耳科提綱』など著訳書も多く,開明的な医師として人気があった。<参考文献>柏原長好『柏陰』
(土屋重朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報