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柏原学而 かしわばら がくじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柏原学而 かしわばら-がくじ

1835-1910 幕末-明治時代の医師。
天保(てんぽう)6年4月讃岐(さぬき)高松藩医の家に生まれる。緒方洪庵(おがた-こうあん),石川桜所にまなぶ。元治(げんじ)元年(1864)徳川慶喜(よしのぶ)の侍医となる。維新後も慶喜にしたがって駿府(すんぷ)(静岡市)にうつり,同地で開業した。明治43年11月死去。76歳。名は孝章。字(あざな)は子成。号は屋山。著作に「耳科提綱」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

柏原学而

没年:明治43.11(1910)
生年:天保6.4(1835)
幕末明治期の蘭方医。江戸幕府15代将軍徳川慶喜の侍医。高松藩(高松市)藩医謙好の3男で本名は孝章。医師の中桐文柄に養育され,のちその長女と結婚したが,妻の死により柏原に復籍。安政1(1854)年大坂に出て緒方洪庵の適塾に学び,一時塾頭も務めた。文久2(1862)年江戸で石川桜所に師事,元治1(1864)年4月一橋(のち徳川)慶喜の侍医となる。京都,大坂,江戸,水戸と慶喜に従い,駿府(静岡県)移住後も君側を離れず,古武士の風格があった。静岡では駿府病院医師となり,のち慶喜邸の隣で開業した。『祇布斯繃帯書』『耳科提綱』など著訳書も多く,開明的な医師として人気があった。<参考文献>柏原長好『柏陰』

(土屋重朗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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