改訂新版 世界大百科事典 「柳得恭」の意味・わかりやすい解説
柳得恭 (りゅうとくきょう)
(R)Yu Tǔng-gong
生没年:1749-?
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…しかし高句麗の故地に興った国であるから記述する〉とあるように,つけたりとされているのである。 こうした《東史綱目》に代表される,渤海史を朝鮮史の従属的な立場におく見方に対し,積極的に自国史上の問題として研究すべきことを主張したのが柳得恭の《渤海考》(1784)である。彼は,〈百済,高句麗が滅んだ後,南に新羅,北に渤海が存在した。…
※「柳得恭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」