改訂新版 世界大百科事典 「燕行使」の意味・わかりやすい解説
燕行使 (えんこうし)
朝鮮が清の北京に派遣した国家使節。1637年に服属してから1894年の甲午改革まで,朝鮮は清に毎年使節を派遣した。1644年に清が北京に遷都すると,朝鮮の使節も北京に派遣された。朝鮮では北京を燕京と呼んだので,この使節を一般に燕行使と称した。ちなみに,清から朝鮮に派遣された使節は勅使という。燕行使は,毎年派遣される冬至使(年貢使)のほかに,必要に応じて謝恩使,奏請使,進賀使,問安使その他があった。これらの使節は,属国の朝鮮が宗主国の清に臣下の礼をとるためという儀礼的なもの以外に,経済的には使節の往復に伴って貿易が行われ,文化的には清の先進文化に朝鮮の知識人が直接触れることができるという意味があった。洪大容,朴趾源(旅行記《熱河日記》を残す),朴斉家,金正喜らは,燕行使に随行して清の学者と交流した体験から北学論を唱え,朝鮮の実学の展開に大きく寄与した。李承薫が朝鮮人として北京で最初に洗礼を受けた(1784)のも燕行使の随員としてである。朝鮮にとって燕行使は清の内外情勢を知る最大のルートで,とくに19世紀の列強の東アジア侵略以降は重要性が増したが,1876年に明治維新後の日本と国交を回復し,82年以降欧米に開国するようになると,その役割は相対的に小さなものとなった。
執筆者:原田 環
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報