柳沢保恵(読み)ヤナギサワ ヤストシ

20世紀日本人名事典 「柳沢保恵」の解説

柳沢 保恵
ヤナギサワ ヤストシ

明治・大正期の統計学者,伯爵 貴院議員。



生年
明治3年12月16日(1871年)

没年
昭和11(1936)年5月25日

出生地
越後国北蒲原郡黒川村(新潟県)

旧姓(旧名)
旧名=光敏

学歴〔年〕
学習院大学科〔明治27年〕卒,ベルリン大学

経歴
明治3年旧黒川藩主・柳沢光昭の2男として生まれ、幼名・利丸、初名は光敏。19年宗家の伯爵・柳沢保申の嗣となり、26年襲爵。27年学習院大学科を卒業し宮内省留学生としてベルリン大学・ストラスブルグ大学、ウィーン大学などで主に統計学を学ぶ。33年帰国後、統計調査に従う。大正2年柳沢統計研究所を創設し総裁となる。37年貴族院議員。東京市会議長、35年第一生命保険社長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳沢保恵」の解説

柳沢保恵 やなぎさわ-やすとし

1871*-1936 明治-昭和時代前期の統計学者。
明治3年12月16日生まれ。柳沢光昭(みつてる)の次男。宮内省留学生としてベルリン大などにまなぶ。帰国後統計調査にしたがい,大正2年柳沢統計研究所を創設。東京市会議長,第一生命保険社長などをつとめた。昭和11年5月25日死去。67歳。越後(えちご)(新潟県)出身。学習院卒。初名は光敏。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android