日本歴史地名大系 「柳瀬新村」の解説 柳瀬新村やなぜしんむら 富山県:砺波市柳瀬新村[現在地名]砺波市柳瀬庄川西岸近くにある。柳瀬村の北部に散在する飛地とその西部に広がる新開地からなり、柳瀬の町並に連なる一画を新町(しんまち)と俗称する。北は秋元(あきもと)村、西は千保(せんぼ)村、南は祖泉(そいずみ)村。元和五年(一六一九)の家高新帳では柳瀬村に続いて同新村とあり、太田組に属し役家数三。寛文五年(一六六五)に村立てされた(出来新村・退転村記申帳)。同一〇年の村御印では柳瀬村分のうちに含まれ、寛文五年・同六年の新田高七八石が柳瀬新村分とある。免四ツ三歩。七八石のうち一五石余は寛文一〇年検地引高となる。 柳瀬新村やなぜしんむら 富山県:新湊市柳瀬新村[現在地名]新湊市七美(しちみ)・新堀(しんぼり)柳瀬村の北方に展開する茅野を新開してできた村で、東は穴場新(あなばしん)村。明暦元年(一六五五)の村立てとされる(新湊市史)。同二年の村御印留に柳瀬村と並記して村名がみえる。寛文一〇年(一六七〇)の村御印でも同様で、当村の草高一七九石、免三ツ二歩(三箇国高物成帳)。安永七年(一七七八)の高一九〇石、百姓四・頭振三(「村鑑帳」大久保家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by