日本歴史地名大系 「栗栖野新田」の解説 栗栖野新田くるすのしんでん 京都市:山科区栗栖野新田[現在地名]山科区栗栖野(くりすの)〈打越(うちこし)町・狐塚(きつねづか)・中臣(なかとみ)町・華(はな)ノ木(き)町〉北・東を東野(ひがしの)、南を勧修寺(かんじゆじ)、西を西野山(にしのやま)の各村に接するごく狭い村落。栗栖野の地名は古代の小栗(をくるす)郷(和名抄)とかかわりがあろう。もとは西野山・東野両村に属して栗栖野新開場(しんかいば)と称されたが、享保一五年(一七三〇)八月に徳川家光の女千代姫が当地を買得して大山崎(おおやまざき)の観音寺(現京都府乙訓郡大山崎町)に寄進し、その後久世(くぜ)郡寺田村(現城陽市)・紀伊郡富森(とみのもり)村・下鳥羽村(現伏見区)などの人々が移住して開墾に着手した。天保八年(一八三七)正月の土橋家文書に「右者西ノ山村・東の村領地ニ御座候処、寛政六寅年高八石九斗開発御高入ニ相成申候」とあり、寛政六年(一七九四)に両村から分離したことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by