日本歴史地名大系 「栗栖野村」の解説 栗栖野村くりすのむら 兵庫県:篠山市旧丹南町地区栗栖野村[現在地名]篠山市栗栖野真南条(まなんじよう)村の南西に位置し、北に槙(まき)ヶ峰連山があり、真南条川が武庫(むこ)川に合流する。承応二年(一六五三)真南条村から分立したという。永禄七年(一五六四)一〇月一〇日の栗栖野信政等連署寄進状(高仙寺文書)により、信政は四人で計四〇石を高仙(こうせん)寺に寄進している。天正一五年(一五八七)九月の酒井庄内高帳写(酒井義一家文書)に栗栖野村とみえ、高二〇四石余。 栗栖野村くりすのむら 兵庫県:城崎郡日高町栗栖野村[現在地名]日高町栗栖野万場(まんば)村の北、神鍋(かんなべ)台地の中央に位置する。北東側に神鍋山(四六九メートル)がある。江戸時代の領主の変遷は天保七年(一八三六)まで宵田(よいだ)村に同じ。同年収公され(「御用部屋日記」など)、幕府領で幕末に至る。慶長一八年(一六一三)の小出吉英所領目録(金井文書)に村名がみえ、高二三一石余。寛永一六年(一六三九)の知高帳によると高二三六石余。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図では高二三一石余。出石封内明細帳でも同高(田方二二二石余・畑方九石余)、ほかに新発高一三石余がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by