栗面村(読み)くれもむら

日本歴史地名大系 「栗面村」の解説

栗面村
くれもむら

[現在地名]諫早市栗面町

貝津かいづ村の東に位置する。近世は諫早郷に属し、諫早領では南目にあたる。はじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領であったが、元和七年(一六二一)に佐賀本藩に上知されたうちの一村とされる。正保国絵図に栗面村とみえ、高二二八石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)でも村名が記され、元禄国絵図でも高二二八石余。天明七年(一七八七)の佐賀領村々目録でも同高。享和三年(一八〇三)の郡村仮名付帳ではクレモとする。天保一四年(一八四三)の諫早郷鑑によれば、田畠四二町八反余・地米一七三石余で、農業一人につき地米・口反米・夫料米・貫物米を合せて二石二斗四升一合余の負担、竈数二三、人数七二のうち農業人三九、諸職人そのほか一五歳以下三三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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