栢間郷(読み)かやまごう

日本歴史地名大系 「栢間郷」の解説

栢間郷
かやまごう

野与党栢間氏の本貫地。栢間氏は野与基永の孫六郎弘光が栢間郷に住して称した。「萱間」とも記す(「野与党系図」諸家系図纂)。同氏は将軍上洛の供奉、武蔵野開発奉行人などのほか、的始めの射手として同季忠・行泰が「吾妻鏡」にみえるが、南北朝時代以後その動向は知られていない。康暦三年(一三八一)四月一三日の足利氏満御教書写(風土記稿)に「埼西郡栢間郷内笠原村榑井」とみえ、鳩井義景は買得した同地にある在家・田畠三町三反の安堵を求め、鎌倉公方足利氏満は鬼窪某に事実関係を調査させている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む