日本歴史地名大系 「桂山村」の解説 桂山村かやまむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区桂山村[現在地名]静岡市桂山安倍川の支流中河内(なかごうち)川下流に位置し、集落は同川左岸にある。南は松野(まつの)村など。萱間とも書く。永禄六年(一五六三)五月二六日に今川氏真が朝倉六郎右衛門尉に与えた安部西河内(あべにしごうち)の諸村の棟別銭を免除する判物(写、判物証文写)に一三ヵ所の一つとして「萱間」が含まれている。広域地名としての安部山(あべやま)に属すると思われる。慶長九年(一六〇四)八月の阿部郡桂山村御縄打水帳(落合区有文書)によると田一町二反余・畑五町六反余・屋敷六反余、名請人数二四。領主は安西外(あんざいそと)新田と同じ。元禄郷帳では高七五石余。旧高旧領取調帳では幕府領六三石余・長光(ちようこう)寺(現曹洞宗)領一三石余。 桂山村かつらやまむら 千葉県:山武郡大網白里町桂山村[現在地名]大網白里町桂山北吉田(きたよしだ)村の北東に位置し、北部を南白亀(なばき)川が流れ、南部を土気(とけ)往還が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二五〇石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では上谷組に属し、幕府領二五〇石。元禄郷帳では高二七七石余。寛政五年(一七九三)の村明細帳(島田家文書)では家数三七・人数二〇二、旗本小栗領。旧高旧領取調帳でも同領、高三〇六石余。年未詳の小栗領分の田方年貢は堰扶持米などを引くと二一四俵余で、畑方を含め六九両三分余と銭四三五文に換算されたが、先納金が元利を含め八一両余に上り、また古先納金四五四両余であった(大網白里町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by