桐ヶ谷新田(読み)きりがやしんでん

日本歴史地名大系 「桐ヶ谷新田」の解説

桐ヶ谷新田
きりがやしんでん

[現在地名]流山市西初石にしはついし一―四丁目

江戸時代中期に桐ヶ谷諸村の東方に接して上野かみの牧内に開かれた畑新田。南は大畔おおぐろ村・大畔新田、東・北は初石新田。享保七年(一七二二)上新宿かみしんしゆく小屋こや・桐ヶ谷北・桐ヶ谷南・谷津やつ貝塚かいづか下花輪しもはなわ・大畔の八ヵ村は連名で上野牧内の開発を願出ている。この願書(吉野家文書)で諸村は、牧内の桐ヶ谷野・大畔野合せて反別一四五町余に新田畑開発を許可されれば鍬下年季三年で、四年目には検地を受け年貢諸役を勤めることを請負っている。開発は許可され、同一五年には小宮山杢之進・後藤庄右衛門の検地を受けて、高一一三石余の新田が成立した。各村別の持添反別は上新宿七町九反余・小屋七町五反余・桐ヶ谷北七町余・桐ヶ谷南七町二反余・谷津七町六反余・貝塚六町八反余・下花輪七町一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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