当新田(読み)とうしんでん

日本歴史地名大系 「当新田」の解説

当新田
とうしんでん

[現在地名]川越町当新田

員弁いなべ川の下流南岸にあり、北福崎きたふくさき村の北に位置する。「五鈴遺響」には北福崎の属邑とあるが、元禄郷帳には縄生なおう(現朝日町)枝郷として出る。新田開発の時期は不明であるが、慶安郷帳(明大刑博蔵)にはみえない。江戸時代を通じて桑名藩領。文政七年(一八二四)の戸数四〇(うち本百姓二八・水呑一二)、人口は男一一六・女一〇八、計二二四(「当新田指出明細帳」後藤俊三氏蔵)

当村でも株地割が行われ、文政八年の例をみると、株は全体で二九株、本百姓はそれぞれ一〇ヵ所の土地を割当てられていた(「田方鬮替帳」同氏蔵)。万延元年(一八六〇)の当村の年貢などの負担は、本高に対する税率が五ツ八分五厘で、取米一九八石余のほか、新田分・口米・川役米などを合せ二二五石余であった(「申歳免定之事」同氏蔵)


当新田
とうしんでん

[現在地名]寺泊町当新田

竹森たけもり村の北に地続きで接する。竹森村のうち北半分が丘陵の南側に広がっているのに対し、北側に展開した集落。明治八年(一八七五)東川原崎ひがしかわらざき新田・西川原崎新田・遠矢とおやさき新田・端江はしえ新田(端口新田)の四新田村が合併して当新田村となった。文政七年(一八二四)の御案内帳(原田仁一郎家文書)によれば、端口はしぐち新田は享保一一年(一七二六)検地で六〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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