改訂新版 世界大百科事典 「桓仁」の意味・わかりやすい解説
桓仁 (かんじん)
Huán rén
現在は中国の遼寧省桓仁県の一帯,鴨緑江中流右岸域に注ぐ渾(こん)江の河辺にあたる地域。《三国史記》によると,高句麗の始祖朱蒙は,前37年に卒本川に至り都を定めようとしたが,宮室を作るひまなく,廬を沸流水上に結んで,国号を高句麗とし,4年後に〈城郭宮室を営作する〉とされている。また,広開土王碑文には,それに関連して,沸流谷忽本とみえる。先学によって,早くから,沸流水は渾江に,そして卒本あるいは忽本の城は五女山城にそれぞれ比定され,桓仁付近が高句麗前期の王都の所在地として推定されてきた。五女山城は,標高820mの独立丘陵に立地し,頂上の平たん部に井戸や池があり,また,頂上縁辺の一部に石塁が残り,高句麗の瓦も出土するが,建国当初の築造とする確証はない。桓仁付近には,五女山の山麓や,渾江をはさんで対岸にあたる高力墓子などに,高句麗の古墳群が分布するが,ほとんど4~5世紀の基壇式積石塚である。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報