新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桜川ぴん助」の解説
桜川 ぴん助(初代)
サクラガワ ピンスケ
- 職業
- 江戸芸かっぽれ家元
- 本名
- 長田 兼太郎(オサダ カネタロウ)
- 別名
- 別名=豊年斎(4代目)
- 生年月日
- 明治30年 1月
- 出生地
- 神奈川県 横浜市
- 経歴
- 生家は、江戸城西の丸御書院番を務めた千二百石取りの旗本の家柄。明治30年横浜の裕福な材木商の3代目跡取りとして生まれたが、明治時代のかっぽれの人気者、初代豊年斎梅坊主に最初で最後の弟子として弟子入りするなど、財産を“芸”で食いつぶし、名古屋で幇間に。異色の経歴から歴代首相や大物財界人から贔屓にされた。昭和12年より妻の美代鶴と漫才を始め、高座でもかっぽれを踊った。43年には梅坊主直伝の大道芸を後世に伝えようと、自宅に“風流かっぽれ道場”を開設、愛好者に正統のかっぽれを教えてきた。60年一人娘の芳子が2代目桜川ぴん助を襲名、道場を引き継ぐ。平成5年4月初代・桜川ぴん助を偲ぶ会が開かれた。
- 没年月日
- 昭和62年 7月15日 (1987年)
- 家族
- 長女=桜川 ぴん助(2代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報