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大道芸 だいどうげい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大道芸
だいどうげい

街頭演芸のこと。「辻芸」ともいう。町辻や盛り場の街頭で,いろいろな芸能を演じてみせて通行人を集め,見物料を請い,または物を売りつける。その発生は世界各地で古くからみられ,日本で顕著になったのは中世以降で,社寺に隷属していた賤民芸能者の群れが勧進の名目で米銭を請うた。

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デジタル大辞泉の解説

だいどう‐げい〔ダイダウ‐〕【大道芸】

盛り場や街頭で演じて見せる芸。見物料を受けたり、物売りの人集めに行ったりする。

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百科事典マイペディアの解説

大道芸【だいどうげい】

辻芸とも。町の辻や盛り場の街頭で卑俗な芸能を演じて,観衆から銭を求め,または物を売るもの。種類は雑多で,江戸時代には辻講釈,居合抜き,曲独楽(きょくごま)などをする薬売り,歌い踊る飴(あめ)売り,豆蔵(まめぞう),砂絵,ほにほろ,手品などあったが,大正ごろから次第に衰えた。
→関連項目角兵衛獅子説経節松井源水

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世界大百科事典 第2版の解説

だいどうげい【大道芸】

繁華な大道や街頭,また仮設の掛け小屋などで行われるさまざまな芸能の総称。〈辻芸〉とも呼ばれる
[日本]
 ほとんどすべての芸能は,その発生期においては屋外の大地の上で行われており,むしろ芸能にあっては,長く〈屋外の芸〉もしくは〈大道の芸〉という芸態が当然のことであった。しかし,特に近世以降に人形浄瑠璃歌舞伎といった舞台芸能が発展すると,〈門付(かどづけ)芸〉〈見世物〉〈物売り(香具師(やし))の芸〉なども広く含めたもろもろの大道の雑芸(ざつげい)は,舞台芸能とははっきり区分けされて意識されるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大道芸
だいどうげい

街頭、広場、盛り場などにおいて、まったくの野天で、ときには仮設の掛け小屋(ブース)で、芸を見せ、集まった群集から銭を集めたり、その芸を見せながら商品を売る巷間(こうかん)芸能を総称していう。町辻(まちつじ)で行うパフォーマンスperformanceということから、日本では辻芸とも称される。芸を行う者のほうから各戸を訪れてきて芸を見せるのを門付(かどづけ)芸と称して、いちおうは大道芸と区別されるが、なかには区別がつかない形態のものも多く、門付芸も広義の大道芸に含むとみる見方もある。
 大道芸は、古今東西を問わず、民衆的活力を街頭に発散させるこのうえない空間をつくりだしたが、担い手が租税負担を負わぬ流浪の人々であることが多く、いきおい為政者側への、あるいは時代の支配的イデオロギーへの風刺や揶揄(やゆ)の色彩が強くなりがちなこともあって、弾圧と解放の歴史を繰り返した。やがて近代になると、こうしたストリート・パフォーマンスを成り立たせていた街頭や広場そのものが強力な管理を受け、また大衆の娯楽が室内(インドア)化し、非共同体化していく趨勢(すうせい)に押される形で大道芸は力を失っていった。しかし、街頭管理に端的に表れた近代ブルジョアジー的秩序体系が世界的に疑問視され始め、1960年代後半フランス、日本をはじめ各国に巻き起こったいわゆる「異議申し立て」運動が、そろって、その表現の一形式として、道路を遊戯性に満ちた「広場」として奪回せよというスローガンを掲げたことは特筆される。それを契機に街頭におけるさまざまなパフォーマンス、ハプニングhappeningやイベントeventの可能性が近年新たに模索されつつあるが、商業資本の側に利用されることのない、民衆的活力に満ちた大道芸の復活はなかなか困難というのが現状である。以下、代表的な時代と地域の大道芸を概観してみよう。[高山 宏]

ヨーロッパ

街頭を舞台とする大道芸はすでに古代、エジプトやギリシア、ローマに存在した。軽業(かるわざ)師、手品師、道化、役者などが一座をなして、市(いち)や祭礼など人々の集まる場所を巡り歩く習俗が古代世界全般に存在している。これら名も知れぬ男女芸人は、彼らに金銭を与える者がいれば、どこででも、いつでも芸を見せた。とくにギリシアで馬のいななきや雷の音などの物真似(ものまね)に長じた者たちのミモスmimos(物真似を中心とした雑芸(ぞうげい))が有名で、すでに紀元前5世紀初めにこうした大道芸人たちが山車(だし)の上で演じるミモス芸が人気を博していたこと、そしてこれがほぼ同時代のアテナイ(アテネ)に開花した本格的ギリシア演劇に影響を及ぼしていったことが知られている。このミモスは古代ローマに入り、ミムスmimusといわれたが、戦乱と文化的退廃を特徴とするその古代ローマも、一方で戦争による流民の増加、帝国版図の拡大による異国趣味の流行などを背景に、独特な大道芸の一大文化を繰り広げた。大道芸の世界に関心をもち、すでに『道』で大道芸人のペーソスを銀幕に定着してみせた映画監督F・フェリーニが古代ローマに取材した『サテュリコン』『アマルコルド』などの画面に、ローマ帝国末期の大道芸文化の爛熟(らんじゅく)ぶりがみごとに活写されている。闘技場での闘技は剣闘士や動物の生命と引き換えのものであったし、貴族が邸(やしき)に抱えていたフリークスfreaks(異形の芸人)たちにしても、寵(ちょう)を失ったりすると街頭に立って物ごいをしなければならなかったのである。
 これら古代の巷間芸能は中世の雑芸へと流れ込んだ。ママリーmummeryとよばれる仮面の無言劇や、ソード・プレイsword play(剣の舞)といった、いわゆる民衆劇などがその遺産である。ヨーロッパ中世では、グリーマンgleemanと称される遊行大道芸人たちの活躍が有名で、役者、歌手、曲芸師、動物使いたちが一座の形で移動しながら芸を見せた。また、ミンストレルminstrelとよばれる宮廷吟遊詩人たちと区別される放浪芸人ジョングルールjongleurたちがいて、14世紀以降これはほとんどの軽演芸を総称するものになっていく。15世紀に西ヨーロッパに姿を現したロマ(かつてはジプシーとよばれた)たちの歌舞も、大道芸の添景として欠かせぬものとなる。
 16世紀の戦乱も、流民の増大、為政者への不満という大道芸の流行に格好の条件をつくりだし、たとえば16世紀から17世紀にかけてイギリスでブロードサイドbroadsideとよばれる流行歌の読み売りがはやった。政治・宗教への風刺歌が街頭で1ペニーか2ペンスかで木版刷りで売られたのである。エリザベス朝当局は浮浪者締め出しを口実にこれを弾圧しようとした。当時、ロンドンのテムズ川岸のバンクサイドは大道芸のメッカで、闘牛や熊(くま)いじめといった残酷な動物芸や、古い物真似芸、5月祭(メイ・ゲーム)、モリス・ダンスmorris dance、ソード・プレイなど古い大衆的大道芸が存続して、常設の劇場とせめぎ合い、互いに影響しあった。大道芸は、12世紀以降イギリスやフランスで発達した市(フェア)なくしては大発展はありえなかったのだが、イギリスではロンドンのバーソロミュー市(フェア)が有名で、そこに各種呼び売りが芸を披露するさまは、ベン・ジョンソンの名作喜劇『バーソロミュー市(フェア)』(1614)に生き生きと描かれている。
 しかし、近代最大の大道芸の中心地は大革命(1789)前夜のパリであって、アンリ4世がつくった橋ポン・ヌフを中心に、宮廷や重税といった社会悪を風刺する流行歌を歌い、売る、読み売りの大道歌手や、おもに怪しげな薬を商うシャルラタンcharlatanとよばれる大道香具師(やし)、バトルールbateleurとよばれる曲芸師などが蝟集(いしゅう)した。またサン・ジェルマン、サン・ローランの二つの地区に立った市(フォアール)には仮設の掛け小屋(ブース)芝居がかかって大人気を博し、この縁日芝居(テアトル・ド・フォアール)はコメディ・フランセーズなど常設劇場への大きな脅威となったため、18世紀後半弾圧を招き、曲折のすえ、劇場芸能のなかへとそのパワーを吸収統合されていった。しかし、イタリアの大道即興仮面喜劇コメディア・デラルテに系譜するオペラ・コミックと称されたこの大道演劇は、その周辺にアクロバット芸、人形芝居、珍獣の見せ物、フリークス芸、そして携帯幻灯機といった光学機械興行など多彩な大道芸のレパートリーを結集させ、大革命に向けて増大していく民衆的活力の発露された、M・M・バフチンのいわゆる「広場の文化」の最後の極といえるパワフルで猥雑(わいざつ)な空間をつくりだした。
 20世紀初頭の不況期には失業者の辻音楽師を生み出したが、現在ではバスカーbuskerと総称される、劇場周辺や地下鉄駅でギターの弾き語りや管楽器の演奏を聞かせて金をもらうストリート・ミュージシャンたちが、欧米の諸都市にみられる。[高山 宏]

日本

古くは奈良時代に大陸から伝来してきた散楽(さんがく)という曲芸があり、8世紀これが宮廷の戯芸でなくなり、民間に流れ出たとき、日本の大道芸能史は始まる。算所(さんじょ)民とか唱門師(しょうもんし)とかよばれる芸能者集団、くぐつ(傀儡子(かいらいし))など流民集団がこれを支え、中世には勧進比丘尼(びくに)、くぐつ、放下(ほうか)、乞胸(ごうむね)、門説経(かどぜっきょう)、瞽女(ごぜ)などの雑伎が行われたが、巷間芸の驚くべき多彩化は、都市文化が発達し、路上に人々があふれた江戸時代にこそみられる。元禄(げんろく)時代(1688~1704)には歌舞伎(かぶき)を街頭でまねする物真似、猿若(さるわか)、首かけ芝居といった芸が現れ、やがて文化の中心が江戸に東漸し、江戸地回り経済圏の発展による流浪民の増加を背景に、文化・文政(ぶんかぶんせい)時代(1804~1830)という、18世紀パリにも匹敵する大道芸の黄金時代が現出した。節季候(せきぞろ)、千秋万歳(せんずまんざい)、春駒(はるこま)、獅子舞(ししまい)、大黒舞(だいこくまい)、鳥追(とりお)い、猿回し、人形回し、太神楽(だいかぐら)、絵解き、門(かど)談義、太平記読み、声色(こわいろ)、独相撲(ひとりずもう)、居合抜き、曲独楽(きょくごま)、曲鞠(きょくまり)と、その種類も激増して優に300種を上回り、上野山下、浅草奥山など大道芸のメッカを生み出した。
 洋の東西を問わず大道芸も視覚に淫(いん)する傾向があり、江戸末期には珍獣やフリークスの見せ物、のぞきからくりといった光学興行も増えた。大道香具師(やし)も多く、居合抜き、曲独楽で客寄せしておいて、膏薬(こうやく)や歯みがきなどを売った。非人頭(かしら)矢野弾左衛門とその配下、乞胸仁太夫(ごうむねにだゆう)、車善七(くるまぜんしち)の差配下に、これら香具師は業を営んだ。薬ばかりでなく飴(あめ)売り行商人たちも客寄せに歌舞、声音(こわね)を演じた。幕末から明治にかけて、砂絵、砂文字、名所絵かき、ほにほろ、紅勘(べにかん)、手品、猫八、蛇使い、かっぽれ、でろれん祭文、力持ちなど、さらにレパートリーが加わっていく。また声色屋、新内(しんない)流しなど流しとよばれた大道芸の系統から、明治の演歌師や法界(ほうかい)屋が出てくるが、これが近年の飲食店に姿をみる流しのギター弾きにまで連なっている。日本の大道芸は明治末年に終わったとみられる。八人芸に系譜するチンドン屋、人形回しの流れをくむ紙芝居さえもいまはほとんどみられなくなってしまった。[高山 宏]

アジア

大道芸の歴史は中国においても古く、巫覡(ふげき)と称される聖職者が堕落して遊行芸人になったのがその起源といわれ、北宋(ほくそう)時代に民衆娯楽として流布した。弄玉(ろうぎょく)、綱渡りといったレパートリーを含む散楽の伝統を中心に、革命前まではさまざまな大道芸が各地で行われていた。評書(講談)といった語り物、鼓詞などの歌謡芸、弄剣、弄玉、手品、それに猿回し、ネズミ使いといった動物芸、傀儡戯、皮影戯が盛行した。これら大道の雑芸は革命後も民衆娯楽として政府から重要視されており、また中国大道芸の伝統はいまではサーカスのなかに多く受け継がれている。
 中国巷間芸能の影響は朝鮮の大道芸、とくに、歌唱芸である唱劇、パンソリなどを生み出した。鳳山(ほうざん)タールといった仮面劇、剣舞、九鼓舞といったレパートリーを誇るが、李朝(りちょう)時代、半島を放浪して仮面劇、人形劇、アクロバットや綱渡りを見せた男寺党(ナムサダン)という大道芸人集団は特筆に値する。日本による支配時代に滅びてしまったが、近年になって韓国が民族芸能に目を向けるようになった動きに呼応して、サムルノリといったパーカッション・グループの演奏のなかにその芸風が復活した。
 アジアの大道芸の中心はいまやインドネシア、とくにジャワ島とバリ島である。ガムラン音楽を伴うワヤンという大道芸がとりわけ有名である。人形芝居、影絵人形芝居、仮面劇など6種類ほどのワヤンがあるが、世界の多くの地域の大道芸が喪失してしまった民衆の根源的な活力がそこに認められ、アントナン・アルトーをはじめ20世紀演劇にそうした民衆的活力を復活させようとした演劇人たちの大きな霊感源となっている。[高山 宏]

大道芸と近代社会

以上のような地域のもろもろの大道芸のレパートリーを眺めてみると、近世初頭、民衆的滑稽(こっけい)作家フランソア・ラブレーの世界についてバフチンのいった「広場」の文化を、文字どおり広場で、街頭で担っていたのが、こうした大道芸人たちであったといえる。18世紀後半に市の空間がさびれ、大道芸は劇場へと「室内(インドア)化」されていったが、広場の文化とは、人間活動の中心を知性と合理に置き、個人主義をよしとして、室内化していく近代文化にはっきりと対峙(たいじ)されるべき文化モデルであり、人間だれしもがもっている肉体を通して互いにコミュニケートしあうことを目ざす文化なのである。文字どおり体を張り、声を出す大道芸の(とくにアクロバット的な)離れ技は徹底した肉体芸であり、また香具師たちの言語遊戯に満ちた口上は、言語の肉体性(連想性、遊戯性)を意味性の重荷から解き放つ。こうして個人として、またその個人の集合体である一共同体として、われわれがもっているはずなのに、合理の名の下に切り捨ててしまってきたあらゆるレベルにおける「肉体性」の豊穣(ほうじょう)と猥雑を、これら大道芸の世界は示している。
 19世紀中に、ヨーロッパ、日本ともにほぼ完全に大道芸を失ったが、それこそは、ブルジョア市民社会が近代化、合理化の名の下に街路の整備を完了した瞬間のことであった。たとえばオスマン男爵によるパリ市改造(1853以降)をもって、ポン・ヌフと市(フォアール)に蝟集した大道芸の空間は消滅した。今日、大道にはバスカーたちと舗道画家をみるのみである。大道芸の衰退は、「広場」を失い、生き生きしたコミュニケーションの場を失いつつあるわれわれの文化の孤独な室内化の様相を如実に示すものなのである。[高山 宏]
『朝倉無声著『見世物研究』(1928・春陽堂) ▽宮尾しげを・木村仙秀著『江戸庶民街芸風俗誌』(1979・展望社) ▽ミハイール・バフチーン著、川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(1973・せりか書房) ▽レスリー・フィードラー著、伊藤俊治・大場正明訳『フリークス』新版(1999・青土社) ▽ジャクソン・コープ著、高山宏・浜名恵美訳『〈魔〉のドラマトゥルギー』(1986・ありな書房)』

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世界大百科事典内の大道芸の言及

【辻芸】より

…大道芸の旧称。人が大勢集まる町角や道端,寺社の境内などで行ったもので,辻能,辻放下(つじぼうか),辻狂言,辻談義,辻咄,辻講釈,軽口物真似などがある。…

【見世物】より

…寺社の境内や盛場で,臨時に小屋掛けして,芸能および種々珍奇なものを見せて入場料をとる興行物のこと。
【日本における見世物の歴史】
 見世物は勧進を名目にした絵解き説経などの大道芸にはじまり,小屋掛けの興行は,放下(ほうか)や蜘舞(くもまい)(軽業(かるわざ))など室町時代にはじまるといってよいが,盛行をきわめたのは江戸時代に入ってからである。京都では四条河原,大坂では道頓堀や難波新地,名古屋では大須,江戸では両国,上野広小路,浅草奥山などで盛んに興行され,明治時代になってからは浅草公園六区や招魂社(現,靖国神社)境内などが興行地として名高かった。…

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