桶町の大火(読み)おけちょうのたいか

改訂新版 世界大百科事典 「桶町の大火」の意味・わかりやすい解説

桶町の大火 (おけちょうのたいか)

1641年(寛永18)の江戸の大火。1月晦日,子(ね)の刻に京橋桶町1丁目より出火烈風にあおられ,南は芝宇多川橋,東は木挽町海岸,北は御成橋,西は麻布まで延焼,97町,1924戸,うち大名および旗本屋敷121,同心屋敷56軒を焼き,数百人の焼死者を出して,同日戌(いぬ)の刻,ようやく鎮火した。将軍徳川家光もみずから江戸城の大手門に出て陣頭指揮をとり,諸大名老中奉書を受け消火に当たったが,いかんともしがたく,江戸の大半を焼失する結果となった。またこのとき,消火を指揮した大目付加々爪忠澄は,火煙にまかれ殉職した。この大火の翌々年9月,幕府は,従来の一部の旗本の番方組織による消火や大名の臨時の軍役的性格をもつ消火出動に加えて,6万石以下の大名16家を4隊に編成し,1万石につき30名ずつ藩邸武士動員,1隊が10日交代で常時消防に当たらせることとした。これが大名火消の始まりである。
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