日本歴史地名大系 「梶ヶ嶋村」の解説 梶ヶ嶋村かじがしまむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区梶ヶ嶋村[現在地名]尼崎市梶ヶ島・杭瀬南新町(くいせみなみしんまち)一丁目・杭瀬寺島(くいせてらじま)二丁目・杭瀬本町(くいせほんまち)一丁目杭瀬村の南東に位置し、南は左門殿(さもんど)川を隔てて西成(にしなり)郡佃(つくだ)村(現大阪市西淀川区)。文安二年(一四四五)に兵庫に入港した船のなかに「梶嶋」を船籍地とする船四艘がみられる(兵庫北関入船納帳)。これらは播磨国擔島(現家島町か)の誤記とする説もあるが、おそらく当地のことであろう。四艘のうち一一月七日に入港した船は「讃州年貢三百石之内」とあり、阿波守護細川讃岐守持常の年貢米を輸送している。また同月二七日に入港した船は、同日に入港した尼崎・別所(べつしよ)、松原(まつばら)(現姫路市)の船とともに「普広院殿三百石過書之内」とあり、京都相国(しようこく)寺塔頭普広(ふこう)院の過書船であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報