梶井宮跡(読み)かじいのみやあと

日本歴史地名大系 「梶井宮跡」の解説

梶井宮跡
かじいのみやあと

[現在地名]北区紫野〈上築山町・下築山町・西藤ノ森町・東藤ノ森町〉

雲林うりん院と建勲たけいさお神社の間にあった延暦寺三門跡の一。船岡ふなおか山東端の「字御所田」(山州名跡志)、俗に犂鼻からすきがはなと称されたところがその跡といい、「山城名勝志」に「梶井宮御所」として、「在犂鼻(ママ)応仁御所云云、或云犂鼻ハ舟岡山也、于今舟岡東有梶井田あざ□□□是旧跡也、総テ此辺御池ノ跡ナリト云云」とある。

梶井宮は、もと比叡山東塔南ひえいざんとうとうみなみ谷にあり、堀河天皇皇子最雲法親王が入室して一四世(一説一三世)門主となり、以後門跡房となって、梶井宮とも梨本坊とも称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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