梶谷城跡(読み)かじやじようあと

日本歴史地名大系 「梶谷城跡」の解説

梶谷城跡
かじやじようあと

[現在地名]松浦市今福町 東免

伊万里いまり湾に臨む今福城いまふくじよう(一九七メートル)に築かれた城跡。勝谷かちや城とも記す。平安末期、松浦氏により築かれたとされる。県指定史跡。松浦氏の居城で、同氏の祖という源久が延久元年(一〇六九)摂津国より肥前国松浦まつら郡に移住し(松浦家世伝)志佐しさ郷今福に下向したとされ(壺陽録)築城の年代は嘉保二年(一〇九五)とも久安元年(一一四五)ともいわれる。久の孫の源五郎披を祖とする峰氏は文治元年(一一八五)源頼朝の家人となり、建久三年(一一九二)御厨みくりや庄の地頭職を得たという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む