デジタル大辞泉
「松浦市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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松浦市
まつうらし
面積:九五・六七平方キロ
北松浦半島の北端部に位置する。西部から南部にかけては北松浦郡田平町・江迎町・吉井町・世知原町、東部は佐賀県伊万里市と接する。北部は壱岐水道や玄界灘などに通じる海域に臨む。西に星鹿半島が突き出し、その先端の津崎鼻の沖に青島(面積〇・九平方キロ)・魚固島があり、鷹島と続く。また東部の今福の沖には飛島(面積〇・五平方キロ)があり、その東に福島があるので、広域の入江といった地勢となっている。南部に国見岳(四九五・九メートル)・石盛山(四二五メートル)・高法知岳(四一一・九メートル)などが連なり、これらを水源とする今福川・調川川・志佐川・竜尾川・板瀬川がいずれも北流、流域に平地を形成している。今福川の水源となる人形石山・石倉山では昭和二七年(一九五二)・同二八年・同三二年と地滑りを起こし、被害を与えた。伊万里市の烏帽子岳を水源とする志佐川は流路延長一〇・九三キロ、流域面積四八・一平方キロ。今福川は流路延長一・八キロ、調川川は流路延長四・二キロ。リアス海岸線に沿ってMR松浦鉄道(第三セクター)および国道二〇四号が通るほか、主要地方道の佐世保―吉井線・佐世保―日野―松浦線・伊万里―松浦線、県道の松浦―江迎線・上志佐―今福停車場線などがある。
〔原始・古代〕
市域南部の丘陵上には旧石器時代のナイフ形石器などを出土する明賀谷遺跡があり、志佐川下流の辻の尾遺跡などでも旧石器時代のまとまった資料が出ている。また宮崎遺跡からは轟式土器・曾畑式土器・阿高式土器のほか、櫛目文土器、石錘、石鏃・石斧など縄文時代から弥生時代にわたる遺物が多数発見されている。志佐川西岸の栢ノ木遺跡では石棺墓・甕棺墓が検出され、副葬品として後漢鏡やガラス小玉が出ており、当時の有力層の存在を想定しうる。こうした出土は「魏志倭人伝」に記される末盧国に当市域の一部も属していたとする見解を補強するものであろう。志佐町の宮ノ下り遺跡では弥生時代後期から古墳時代に及ぶ集落遺構が検出され、住居跡は墓域と溝で区切られていた。また四世紀中頃から五世紀代の遺物が出ている。貝塚を伴った池田遺跡では石棺墓・甕棺墓が確認されている。海岸部には小島古墳群(一号墳は七世紀代)があり、銀環・勾玉・鉄鏃・鞘尻金具・鉄刀などが発見されている。
「肥前国風土記」松浦郡条に景行天皇が松浦郡の大家島や大近・小近などにいる土蜘蛛を平定し、贄を貢進させるようにしたとあるが、志佐川河口部の志佐町浦免には景行天皇の行宮跡という伝承地があり、同天皇・淀姫命・豊玉姫命を祭神とする淀姫神社が鎮座する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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松浦〔市〕
まつうら
長崎県北部,北松浦半島の北部,伊万里湾に面する市。鷹島,福島,青島,飛島,黒島などを含む。1955年志佐町,新御厨町,調川町の 3町が合体して市制。同年今福町を編入。2006年福島町,鷹島町と合体。中世初頭以来の松浦党の根拠地。延久1(1069)年に松浦氏の祖,源久(みなもとのひさし)が今福に下向したのが始まりとされる。江戸時代は平戸藩松浦氏領。主要産物は米,ミカン,野菜。山間地帯を利用した棚田が古くから発展し,上志佐や福島の土谷などで見られる。漁業は網漁業,吾知網漁,タイやトラフグの養殖漁業が行なわれる。調川(つきのかわ)近くの松浦魚市場は,サバ・アジの水揚げ量で国内有数を誇る。かつては炭鉱の町として栄えたが,1970年代までにすべて閉鉱。食品,繊維,化学,造船などの工業誘致が積極的に行なわれたのち,御厨海岸に大規模な火力発電所が建設された。福島など北部の島々は風光明媚で見どころが多く,観光地化が進む。鷹島は元寇の激戦地として知られ,記念碑などが点在する。北松浦半島内陸部や青島などは北松県立自然公園,福島と佐賀県の境に浮かぶイロハ島などは玄海国定公園に属する。北岸を松浦鉄道,国道204号線,松浦バイパスなどが通る。島嶼部と内陸部の間を定期船が往来する。面積 130.55km2。人口 2万1271(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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